福岡県北九州市八幡西区にある「左近田公園(旧校舎下の公園)」は、一見すると何の変哲もない小さな公園である。しかし、そこには鳥居、墓石、祠といった不可解な構造物が点在し、地元では古くから心霊の噂が絶えない。今回は、左近田公園(旧校舎下の公園)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
左近田公園(旧校舎下の公園)とは?
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左近田公園(さこだこうえん)は、北九州市八幡西区に位置する小さな公園であり、地元では「旧校舎下の公園」との異名で知られている。
その呼び名は、近隣に存在した福岡県立東筑高等学校の旧校舎のすぐ下にあることに由来しているとされる。
この公園は、かつては森に囲まれ、昼間でもどこか薄暗く湿った空気が漂っていた。
膝まで伸びる雑草が公園全体を覆い尽くし、まるで“何か”を隠そうとしているかのようであった。
特に子どもたちの間では、そこにだけあるブランコが唯一の遊び場でありながら、どこか得体の知れない存在を感じさせる場所でもあったという。
階段の途中に唐突に現れる鳥居、ぽつんと置かれた墓石、祀られた武士の祠。
その全てが、この土地に積もり積もった“何か”の痕跡であるかのように感じられる。
左近田公園(旧校舎下の公園)の心霊現象
左近田公園(旧校舎下の公園)の心霊現象は、
- 男性の霊が現れる
- 生首が宙に浮かぶ
- 誰もいないのに“誰か”と会話してしまう
- 心霊に取り憑かれる
- 墓石から異様な気配が発せられる
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最もよく語られるのが「生首の目撃談」である。
夜の公園で浮かび上がるのは、首から上だけの人間である。
声を発さず、ただじっとこちらを見てくるという。
逃げようとすれば、視線だけが追ってくるという証言もある。
また、「誰もいないのに会話してしまう」という怪異も存在する。
あるグループが夜、公園で談笑していたところ、その中の一人が急に黙り込み、誰かと話すようにうつむいてぶつぶつと呟き始めたという。
声をかけても反応はなく、やがてそのまま公園の隅に歩いて行き、同じ場所で座り込んだ。
その後、彼は一連の行動を一切覚えておらず、まるで“他の誰か”に体を借りられていたかのようであった。
この現象と関連して語られるのが「取り憑かれ」の事例である。
肝試しや好奇心で足を踏み入れた者が、帰宅後に意味不明の言動を取るようになるという報告が複数存在する。
とくに墓石や鳥居付近に近づいた者に強く現れる傾向があるという。
左近田公園(旧校舎下の公園)の心霊体験談
ある女性が、まだ小学生だった頃、この公園に魅せられたかのように通っていたという。
当時、周囲はうっそうとした森に囲まれ、雑草に埋もれながらも、ブランコだけは妙に綺麗な状態で揺れていたという。
しかし、その女性の記憶には奇妙な点がある。
誰かと会話していた楽しい記憶はあるのに、そこに“誰がいたのか”という人物像が一切思い出せないというのである。
ただ、ブランコが一人で揺れていたことと、「また来るね」と自分が言っていた記憶だけがはっきりと残っているのだという。
後年、近所の年配者から「あの公園は昔、◯刑場だった」という言葉を聞かされ、そのとき、普段は穏やかな表情を浮かべている老人が、まるで怒りと恐怖を同時に滲ませるような鬼気迫る表情を見せたという。
これは、ただの昔話などではなく、“何か”を知っている者の真実の顔だったのではないだろうか。
左近田公園(旧校舎下の公園)の心霊考察
左近田公園における怪異の数々は、単なる都市伝説では片づけられない重苦しさを持っている。
その原因の一端は、かつてこの土地が持っていた“役割”にあると考えられる。
祠、墓石、鳥居――これらが象徴しているのは、“鎮魂”である。
つまり、何かを封じ、何かを慰めなければならないだけの過去がこの地に存在していたのだ。
近隣住民が語る「かつての◯刑場」という噂も、あながち否定できるものではない。
鳥居の位置、階段の奇妙な造り、そして公園で“誰か”と会話する現象。
これらは、過去に犠牲となった魂が未だに成仏できず、現世に縋り続けている証左である。
彼らは、誰かと話したい、理解されたい、忘れられたくない……そんな強烈な想念をもって、今なおそこに留まり続けているのかもしれない。
左近田公園は、ただの廃れた遊び場などではない。
そこは“過去”と“現在”が静かに交差する、禁忌の地なのである。
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