津和野城跡には、男性の霊が現れる、背後から足音がついて来る、そして戦国時代の名残かホラ貝の音が響く――。今回は、津和野城跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
津和野城跡とは?

津和野城跡は、島根県鹿足郡津和野町に位置する標高367メートルの霊亀山に築かれた山城である。
鎌倉時代の弘安5年(1282年)、元寇の脅威に備え、能登から派遣された吉見頼行が築城したことに始まる。
はじめは「三本松城」あるいは「一本松城」と呼ばれていた。
その後、関ヶ原の戦いの功績により坂崎直盛が入城。石垣を多用した近世城郭に改修し、三層の天守を構える壮麗な城へと変貌させた。
だが直盛は、千姫との再婚を巡る陰謀により屋敷を包囲され、自害へと追い込まれるという凄絶な最期を遂げる。
坂崎家の断絶後、因幡国から移封された亀井氏が明治維新まで城主を務め、津和野の町を治めた。
明治4年の廃藩置県により廃城となり、現在は石垣や堀を残すのみである。
津和野城跡の心霊現象
津和野城跡の心霊現象は、
- 男性の霊が現れる
- 足音が背後からついて来る
- 合戦のホラ貝の音が聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
津和野城跡へと続く山道を登っていると、まるで誰かが背後からついて来るかのような足音がするという。
この足音は、ただの登山者のものではない。
誰もいないはずの後方から「コツ、コツ…」と、一定の間隔で重たい足取りが響いてくるのだ。
また、ある者はその山道で、突然「ボオオオ…」という低くうねるようなホラ貝の音を耳にしたと語る。
これはかつて戦国の世、合戦の合図として吹かれたものであり、すでに数百年が経った今、実体のない音だけがこの地に染みついたかのようである。
そして、津和野城本丸跡周辺では、甲冑を身にまとった武者らしき男の霊を目撃したという報告がある。
蒼白な顔、無言の眼差し、その姿はただじっと山の麓を見下ろしていたという。
津和野城の天守はすでに焼失し、遺構のみが残るが、その静けさゆえに怨念がより濃く滞っているのかもしれない。
城を築き、守り、そして命を落とした者たちの無念は、未だ浄化されることなく霊亀山に満ちているようだ。
津和野城跡の心霊体験談
ある登山者は、晴天の午後に津和野城跡を訪れた。ロープウェイで山頂に着いた後、天守跡へ向かう山道を歩いていると、背後から「ザッ、ザッ…」と、誰かが地面を踏みしめる音が聞こえてきたという。
振り返っても誰もいない。不審に思いつつも再び歩き出すと、今度は耳元近くでホラ貝のような音が「ボォオオオ…」と鳴り響いた。
その瞬間、身体が金縛りにあったかのように動かなくなり、背筋に凍りつくような寒気が走った。
逃げるようにその場を離れた登山者は、その日から高熱と悪夢に悩まされたという。
夢の中で彼の前に現れたのは、無言の武士の霊だったそうだ。
津和野城跡の心霊考察
津和野城跡が心霊スポットとして知られる背景には、いくつかの要因が重なっていると考えられる。
まず、この地が長年にわたり戦乱の舞台であったこと。
大内氏と陶氏、毛利氏と吉見氏、さらには関ヶ原後の政変など、幾多の戦がこの地で繰り広げられた。
そして、坂崎直盛の悲劇的な最期。千姫との約束を反故にされ、幕府に追い詰められた末の自害。
その怨念が、かつて自身が築いた城に戻り、今もその魂を彷徨わせているのかもしれない。
また、標高367メートルという霊亀山の地形も霊的な力を溜めやすい場所とされている。
高地は古来より神域や霊場とされることが多く、ここに集まった武士たちの魂が、成仏することなくこの山の静寂の中に閉じ込められているのだろう。
津和野城跡。そこはただの史跡ではない。歴史と無念が交差する、時空の裂け目のような場所である。
そしてその裂け目から、今もなお、あの足音とホラ貝の音が漏れ聞こえてくるのかもしれない。
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