岡山市にひっそりと佇む素盞鳴神社。この神社には、女性の霊が現れるという話をはじめ、参道で無数の視線を感じる、昼間でも圧迫感に襲われるなど、数々の不可解な心霊のウワサが囁かれている。今回は、素盞鳴神社にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
素盞鳴神社とは?

素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)は、岡山市内に位置し、江戸時代には「祇園宮」と呼ばれ、牛頭天王を祀っていた歴史ある神社である。
正徳二年(1712年)、京都八坂神社からの御分霊を奉じて創建され、岡山城の丑寅鬼門除けとしての役割も担っていた。
また、この地一帯が「祇園」と呼ばれるようになった由来も、この神社にある。
参道は約200メートルにわたり、途中にはかつて名物とされた「祇園二本松」があったが、2023年には突如切断され、今は見る影もない。
境内には旭川の伏流水が湧き出ており、地域住民にとっては信仰の拠り所であるが、ある一部の参拝者にはこの場所が異様な恐怖を呼び起こす「異界」として知られている。
素盞鳴神社の心霊現象
素盞鳴神社の心霊現象は、
- 女性の霊が現れる
- 参道で無数の視線を感じる
- 昼間でも強烈な圧迫感に襲われる
- 境内に辿り着くまでに訳のわからぬ恐怖が込み上げてくる
である。以下、これらの怪異について記述する。
素盞鳴神社の参道は幅約2メートル、高さおよそ15メートルの石段を上りながら進む構造となっており、そこに足を踏み入れた瞬間から、常人には到底説明できない重苦しい圧迫感が身体を包む。
石段を登るたびに、何かに監視されているような無数の視線を背後から感じるという証言が後を絶たない。
ある者は、「霊感の有無に関係なく、理屈抜きで怖い」と語っている。
特に霊感のある者は、鳥居をくぐる直前に「黒い何か」が石段の上に立っているのを目撃したとも言われている。
参道を抜け、境内に入ると一見静寂が訪れる。
しかし、それはあくまで「嵐の前の静けさ」に過ぎないと語る者もいる。
参拝を終えた者の中には、「あの石段にもう一度戻ることができる気がしない」と語り、足早に立ち去る者も少なくない。
素盞鳴神社の心霊体験談
40代の男性が、昼間に参拝しようと神社の石段に足をかけた途端、足が鉛のように重くなり一歩も動けなくなったという。
汗が止まらず、背中に冷たい手が触れたような感覚とともに、頭の中で「来るな…」という声が響いた。
ようやく石段を上り切ると何事もなかったようにその感覚は消えたが、帰宅後、その男性は高熱を出し3日間うなされたという。
また別の女性は、夕方に一人で参道を歩いていた際、背後から何者かが追いかけてくる足音をはっきりと聞いた。しかし振り返っても誰もいなかった。
慌てて逃げ出したものの、スマートフォンに保存されていた写真を確認すると、誰もいなかったはずの参道に白い着物の女が立っていたという。
素盞鳴神社の心霊考察
素盞鳴神社にまつわる心霊現象は、単なる迷信や恐怖感の誇張では片付けられないものがある。
古くは牛頭天王という疫病神に近い神を祀っていたという歴史、また神仏分離によりその信仰の形が強制的に変化した経緯が、何らかの“祟り”や“念”を残している可能性がある。
また、石段という構造上、霊的エネルギーが溜まりやすい地形であること、そして削り取られた松や途絶えた水脈といった神聖な象徴の破壊が「結界の乱れ」を生んでいる可能性も否定できない。
素盞鳴神社は、ただの神社ではない。
そこは、見えない者たちの「領域」となっているのかもしれない。
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