山口県岩国市にひっそりと残る引地峠処刑場跡。江戸時代から明治初期にかけて多くの人々が無念の死を遂げたこの地では、今もなお不可解な現象が後を絶たないという。今回は、引地峠処刑場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
引地峠処刑場跡とは?

引地峠処刑場跡は、江戸時代の厳しい圧政のもと、反抗的な農民や不敬とされた者たちが処刑された場所である。
ここは、かつて人の往来が絶えなかった山代街道沿いにあり、処刑の様子があえて街道から見えるように配置されていたとされる。まさに見せしめの処刑場であった。
現在は岩国市の指定文化財となっているが、現地に辿り着くには舗装もされていないけもの道を進まねばならず、地元の住民でさえも「もう何もないところ」と口にするほどに荒れ果てている。
昭和の初期までは、囚われた者たちが鎖で繋がれていたと伝わる巨大な松の木が立っており、また処刑後に血の滴る刀を洗ったという「太刀洗い池」も残されている。
その地に刻まれた歴史は凄惨そのもので、記録に残るだけでも28人の処刑が確認されている。
検地に反対した庄屋、物価の高騰に抗議した農民、時代の変革に翻弄された志士たち……その命は、峠の静寂と共に消え去った。
引地峠処刑場跡の心霊現象
引地峠処刑場跡の心霊現象は、
- 獣道の途中で「誰かに見られている」と感じる視線
- 木々の間から不意に現れる白い着物の人影
- 石碑の前で耳元に響く「許して……」といううめき声
- 太刀洗い池跡で、血が滲むように赤く染まる水たまり
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、引地峠に続く道は、訪れる者の覚悟を試すかのような獣道である。
蜘蛛の巣が行く手を阻み、背の高い藪が両脇から迫る。
進むたびに、背後から何かがついてくるような気配に襲われるという。
特に一里塚を過ぎたあたりからは、空気が急に重くなり、周囲の音が消えるのだという。
峠の開けた場所には「引地峠処刑場跡」と刻まれた石碑が立っており、その前では、誰もいないはずなのに足音が近づいてくる体験が多発している。
ある者は、石碑の前で頭を下げた瞬間、耳元で「許してくれ」と低く呻く声を聞いたという。
また、本郷側に少し下った場所にある太刀洗い池跡では、雨も降っていないのに水たまりが赤く染まっていたという証言がある。
その赤は、まるで処刑された者の血が今も滲み出ているかのようであったという。
さらに恐ろしいのは、誰もいないはずの道中で、白い着物をまとった影が木立の間に立ちすくんでいたという目撃談である。
その影は、人の目線に気づくとゆっくりと背を向け、深い森の奥へと消えていったという。
引地峠処刑場跡の心霊体験談
ある訪問者は、夏の午後、一人でこの地を訪れた。最初はただの山道にすぎないと思っていたが、一里塚を過ぎた頃から風が止み、耳鳴りのような音が頭を締め付けたという。
石碑の前に立ち、合掌しようと目を閉じた瞬間、背後から誰かが自分を見つめている気配がした。
恐る恐る振り返ると、白い影が立っていた。
しかしそれは人間ではなく、顔がぼんやりと霞んでおり、手には縄のようなものを持っていたという。
慌てて逃げ出したものの、道中では何度も足元をすくわれそうになり、逃げるたびに「カチャ、カチャ……」と金属音が後ろから響いてきたという。
まるで鎖に繋がれた者が追いすがってくるような音であった。
引地峠処刑場跡の心霊考察
この地で語られる心霊現象の多くは、「無念の死」と深く結びついている。
引地峠処刑場跡で処刑された人々の多くは、民衆のために声を上げ、時の権力に抗い、最期には無慈悲な斬首という末路を辿った。
その命が理不尽に断ち切られたことで、想いが浄化されることなく、この地に残留してしまったのではないかと考えられる。
また、供養塔や墓標が見当たらないことも、霊が成仏できない理由の一つであろう。
処刑された者たちの魂は、安らぐ場所を持たぬまま、今もさまよい続けている可能性が高い。
岩国市がこの場所を文化財として残した意義は大きいが、それと同時に、そこに封じられた負の歴史と向き合う覚悟が必要である。
何気なく踏み入れた者は、知らず知らずのうちに“想い”を背負うことになるかもしれない。
処刑された者たちの声なき叫びは、今も峠の風の中に紛れ、訪れる者の耳元でそっと囁きかけてくるのである。
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