徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)には、第一次世界大戦で亡くなったドイツ兵捕虜たちの霊が今もなお現れるという。今回は、板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)とは?
の外観.jpg)
板東俘虜収容所は、1917年に徳島県鳴門市大麻町に建設された日本最大規模の俘虜収容所である。
日独戦争で捕虜となったドイツ帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国の将兵約1000名が収容され、1920年までの約3年間を過ごした。
この地は「世界一平和な収容所」とも呼ばれ、収容所長・松江豊寿による寛大な処遇で知られ、捕虜たちは地元住民と交流し、ベートーヴェン「第九」の日本初演を行うなど文化的交流も深かった。
しかし、その裏で日本の地で命を落とした兵士も少なくはなく、丘の上には彼らを弔う慰霊碑と墓がひっそりと佇んでいる。
現在、この跡地は「ドイツ村公園」として整備されているが、史跡や記念碑が残る一帯には、不気味な噂が後を絶たない。
板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)の心霊現象
板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)の心霊現象は、
- 周辺でカメラや録音機器に突然ノイズが走る
- 車のカーステレオが原因不明で乱れる
- 軍服姿の外国人男性の霊が目撃される
- 慰霊碑周辺で不可解な低いドイツ語の声が聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
公園の入口には、右に「板東俘虜収容所跡」、左に「ベートーヴェン第九日本初演の地」と刻まれた案内が立っている。
穏やかな公園の景色とは裏腹に、兵舎跡の煉瓦積みや、捕虜が自らの手で築いたドイツ橋の模型が、過ぎ去った時代の気配を色濃く残している。
丘を登ると、第一次世界大戦中に日本で亡くなった85名のドイツ兵士の合同慰霊碑が現れる。
碑には彼らの名が刻まれているが、苔むした石肌と静寂が、言い知れぬ重さを漂わせている。
傍らには小さな墓碑が並び、そこには11名の兵士が葬られている。
この場所で語られる心霊現象は、単なる怪談話では片付けられない。
カメラを向けた瞬間に強いノイズが走り、シャッターが切れなくなることがある。
車で訪れた者は、駐車中にもかかわらずカーステレオから不協和音のような音が流れ出すという。
最も恐ろしいのは、慰霊碑の前で背後から低く重いドイツ語の声を聞いたという証言である。振り返っても誰もおらず、風もない。
その声は、まるで異国の戦場から呼びかけるかのように、耳元で生々しく響いたという。
板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)の心霊体験談
ある男性が、秋の夕方にこの公園を訪れた時のことである。
慰霊碑の前に立ち手を合わせていたところ、後ろから「カムラーデ(戦友)」と囁く低い声が聞こえた。
驚いて振り返ると、軍服を着た背の高い外国人の男が数メートル先に立っていたという。
しかし次の瞬間、その姿は薄い霧のように消え、慰霊碑の背後には誰もいなかった。
その夜、男性のスマートフォンには撮った覚えのない写真が一枚残っていた。
そこには、並んだ墓碑の横に立つ複数の軍服姿の兵士たちが、こちらを無表情に見つめていたという。
板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園)の心霊考察
この地に漂う霊の正体は、異国の地で命を落としたドイツ兵捕虜たちである可能性が高い。
彼らは日本で比較的恵まれた生活を送ったとされるが、祖国に帰ることなく墓の下に眠ることとなった。
その未練や郷愁が、今もこの地に残留しているのかもしれない。
特に慰霊碑や墓の周辺は、当時の空気を強く留めており、異国語の声や軍服姿の霊が現れるという報告と符合する。
機器のノイズや異常も、霊的な干渉によるものと考えられる。
板東俘虜収容所跡地は、平和と友好の象徴として整備されたが、その地面の下には戦争と死の記憶が深く眠っている。
訪れる者は、決して軽い気持ちで足を踏み入れてはならない場所である。
コメント