徳島県小松島市に残る海軍弁天山隧道には、戦時中の血と恐怖が染みついた数々の怪談が語り継がれている。今回は、海軍弁天山隧道にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
海軍弁天山隧道とは?

海軍弁天山隧道は、昭和19年2月、海軍施設部の指揮のもと地元建設業者が掘削した素掘りの軍用隧道である。
場所は金磯弁天を祀る弁天山(旧・弁天島)を貫通しており、全長は約40m、高さ・横幅はともに約2.5m。
海側出口は径1.2mほどで歪んだ形状をしており、これは設計技師の誤算によるものとされる。
本来は東側にももう一本の隧道が存在し、地下で連結してH字型壕になる予定だった。
しかし、工事の最終段階で終戦を迎え、計画は中止された。硬い岩盤のため作業は難航し、小松島海軍航空隊の予科練生も掘削に動員されたという。
戦時中、この隧道は敵機による爆撃や機銃掃射の際、搭乗員たちの避難所として機能していた。
彼らの宿舎は近くの多田宗太郎邸の離れであったが、現在は跡形もない。
終戦後、この隧道では幾度か自殺があり、その影響か幽霊の目撃談が絶えない場所となった。
海軍弁天山隧道の心霊現象
海軍弁天山隧道の心霊現象は、
- 隧道内で兵士と思しき人影が立ち尽くしている
- 海側出口からすすり泣く声が響く
- トンネル内部で突然、冷気に包まれる
- 写真に白い靄や顔のような影が写る
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最も多く語られるのは「立ち尽くす兵士の影」である。
海軍服らしき衣装をまとい、顔は暗がりに沈み、ただ無言で入口を見つめているという。
近づこうとすると、その姿は空気に溶けるように消える。
また、海側出口では夜になるとすすり泣きが響く。潮騒に紛れて微かに聞こえるが、確かに人の声であり、耳を澄ますほどに悲哀が胸を締め付ける。
この声は、敵機の攻撃で仲間を失った兵士の怨嗟か、それとも終戦後に命を絶った者の嘆きかは分からない。
さらに、内部では突如として異様な冷気に包まれることがある。
真夏であっても皮膚が粟立つほどの冷たさが背後から這い寄り、息が白くなるという証言も存在する。
最後に、観光や調査で訪れた者が撮影した写真には、白い靄や人の顔のような影が映り込むことが珍しくない。
海軍弁天山隧道の心霊体験談
ある男性が干潮時を狙って海側出口から侵入した際、隧道の奥に白い靄の塊を目撃した。
懐中電灯を向けると、靄はゆらりと揺れ、人の輪郭を成したという。
恐怖で立ちすくむ男性の耳に、「戻れ」という低い声が響き、足元の砂利が勝手に動き出す感覚があった。
慌てて外へ飛び出したが、振り返ると誰もいなかったという。
海軍弁天山隧道の心霊考察
この隧道に漂う異常な気配は、戦時中の死と苦痛が強く刻み込まれた土地特有の「残留思念」によるものと考えられる。
避難所として兵士たちが命を繋いだ場であり、同時に絶望や恐怖の感情も積み重なった場所である。
さらに、終戦後の自殺によって新たな死が加わり、時代を超えて怨念が増幅している可能性が高い。
隧道という密閉された空間は音や気配を増幅させ、訪れる者の心理を不安定にする。
そのため実際の霊的現象に加え、訪問者の感覚が鋭敏になり、怪異をより強く体験するのかもしれない。
いずれにせよ、海軍弁天山隧道は軽い気持ちで足を踏み入れるべき場所ではない。
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