高知県香美市の山中にある「甫喜ヶ峰疎水トンネル」は、明治期に造られた灌漑と発電のための歴史的施設である。だがその静かなトンネルでは、白い人影の目撃や不可解なオーブの撮影など、数多くの怪異が報告されている。今回は、甫喜ヶ峰疎水トンネルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
甫喜ヶ峰疎水トンネルとは?

甫喜ヶ峰疎水トンネルは、高知県香美市にある明治期の産業遺産である。
このトンネルは、明治6年・7年に発生した大干ばつと、それに伴う激しい水争いをきっかけに着工された。
吉野川水系の穴内川から水を引き、新改川へ流すことで灌漑と発電を目的とした壮大な計画であった。
明治29年に工事が始まり、岩盤の多い山中を人力で掘り進め、難工事の末、明治33年7月に貫通した。
のちに、この水の落差を利用して「平山発電所」が建設され、高知県で最初の水力発電が実現する。
つまり甫喜ヶ峰疎水は、土佐の人々の生活と発展を支えた重要な施設であり、現在でも現役で使われ続けている。
しかしこの場所には、ただの産業遺産とは言い難い「異様な気配」が漂っているという。
長い年月を経たレンガ造りのトンネルは、昼間でも内部が薄暗く、山の湿気がこもり、まるで“何か”を閉じ込めているような静けさをたたえている。
甫喜ヶ峰疎水トンネルの心霊現象
甫喜ヶ峰疎水トンネルの心霊現象は、
- トンネル内部で大量のオーブが撮影される
- 撮影中、カメラが突然フリーズする
- トンネル内から人の呻き声のような音が聞こえる
- 入口付近で白い人影が立っているのを見たという証言がある
である。以下、これらの怪異について記述する。
甫喜ヶ峰疎水トンネルは、かつて多くの人々が命を削って掘り進めた“生きた山の傷”である。
明治期の工事は危険を極め、崩落や事故で命を落とした作業員も多かったとされるが、その詳細は記録に残っていない。
この「語られなかった死」が、いまもトンネルに沈殿しているのではないかと囁かれている。
内部で撮影を試みた人の多くが、「異常なまでに白い光の球」が映り込むという。
単なる湿気や埃とは思えないほど、明確な形を持ち、まるで“こちらを見つめ返してくるよう”だと語られる。
また、撮影中に機器の電源が突然落ちたり、ピントが合わなくなったという報告も少なくない。
さらに夜になると、トンネル内から「カン……カン……」という金属を叩くような音が聞こえることがあるという。
まるで、いまだ作業を続ける誰かが、岩壁を掘り進めているかのような音である。
入口付近で人影を見たという話もあるが、その姿は地元の人が確認に行った瞬間、ふっと消えたとされる。
その人影は、坑内で亡くなった作業員の霊ではないかと恐れられている。
甫喜ヶ峰疎水トンネルの心霊体験談
ある地元住民は、夜中にトンネルの入口近くで車を停めていた際、不思議な現象に遭遇したという。
ヘッドライトを消し、窓を少し開けると、トンネルの奥から「ザッ、ザッ……」という足音が近づいてくる音がした。
慌ててライトを点けたが、誰の姿もない。
それどころか、車のボンネットに手形のような水跡が、くっきりと残っていたという。
その夜、彼の夢の中に、顔の半分が泥にまみれた作業服姿の男が現れ、「まだ掘らにゃいかん」と呟いたという。
翌朝、彼は高熱を出して寝込み、数日後にようやく回復したが、再びその場所へ行くことはなかったという。
甫喜ヶ峰疎水トンネルの心霊考察
甫喜ヶ峰疎水トンネルには、文明の進歩の裏で失われた命や怨嗟の記憶が残っているのではないか。
明治期の土木工事は、危険で過酷な労働環境の中で多くの犠牲を出してきた。
その「血と汗の記録」が、レンガの一つひとつに染み込み、いまも微かに息づいているのかもしれない。
また、オーブや人影の出現は、湿気や光の反射だけでは説明がつかない。
むしろこの地が持つ“未完成の想念”が、物理的な形を借りて現れているのではないかとも考えられる。
甫喜ヶ峰疎水トンネルは、土佐の誇る技術遺産であると同時に、人々の「報われなかった祈り」が封じられた、静かな霊域でもあるのだ。
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