物部川に建つ国鉄バス転落事故慰霊碑には、今もなお悲劇の面影を宿すという。ここで語られるのは、昭和に起きた惨事の記憶と、夜ごと聞こえると噂される不気味な現象の数々である。今回は、物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑とは?

この慰霊碑は、高知県香美市の物部川沿い、杉田ダムから香北町方面へ約1.5km進んだ国道195号線沿いに建つ。
ここは昭和25年(1950年)11月7日、国鉄大栃線のバスが物部川へ転落し、34名もの命が奪われた悲劇の現場である。
午後6時20分、土佐山田発・在所村行きの最終バスが発車した。
秋の神祭で混み合い、定員33名に対して61名もの乗客が押し込まれていた。
そして午後6時50分ごろ、国道195号線のS字カーブで左前輪が浮き上がり、運転手はハンドルを切り損ねた。
そのままバスは約60メートル下の物部川へと転落。車体は岩に叩きつけられ粉砕し、多くの乗客が即死した。
現場の様子は当時の新聞でも「肉片と血痕が断崖に散った」と報じられたほど凄惨であった。
夜の闇の中、「助けてくれ」「お母さん」と叫ぶ声が川面にこだまし、捜索に駆けつけた家族や消防団員たちは、血に染まった手で遺体を担ぎ上げたという。
現在、国道沿いには三基の石碑が並ぶ。
左から、俳人・林譲治の句「思い出はまた涙なり野辺の菊」を刻んだ句碑、犠牲者の名を記した弔魂碑、そして交通守護地蔵尊。
いずれも、忘れ去られつつある悲劇を静かに語り継いでいる。
物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑の心霊現象
物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑の心霊現象は、
- 夜の川面から白い手が伸びてくる
- 濡れた服の人物が立っていたという目撃談
- 石碑前で写真を撮ると人影が写る
- バスのエンジン音に似た低い唸りが聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
夜の慰霊碑付近は、街灯が乏しく、昼間とは異なる重苦しい静寂に包まれている。
杉田ダムから吹き上がる風が木々を鳴らし、その音がかすかに川面を渡る。
地元の人は日が落ちると近づかないという。
事故現場近くを流れる物部川では、「白い手を見た」「川辺に濡れた人が立っていた」との報告が古くからある。
特に命日前後、夜に車で通過すると、助手席のドアを叩くような音がしたという体験談もある。
ある者は慰霊碑の前で手を合わせた際、背後に人の気配を感じて振り返ったが、誰もいなかったと語る。
また、写真撮影を行うと、石碑の背後に薄くぼんやりとした人影が写り込むことがあるとも言われている。
地元ではそれらの出来事を「成仏しきれぬ魂が、今も川面を見つめているのだ」と噂する。
昼間はただの記念碑に見えるが、夜に立つと、空気が急に冷え、耳鳴りが起こるという証言もある。
物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑の心霊体験談
ある男性は、夜釣りの帰りにこの前を車で通過した際、助手席の窓に濡れた手形がついているのに気づいたという。
拭いても消えず、翌朝見たときには跡形もなく消えていた。
また、別の女性は、深夜にこの場所を通り過ぎるたび、耳元で「まだ寒い…」という声を聞いたと話している。
彼女はその後、必ず手を合わせてから帰るようになったという。
物部川・国鉄バス転落事故慰霊碑の心霊考察
この慰霊碑にまつわる心霊現象は、単なる噂ではなく、深く刻まれた集団事故の記憶そのものが形を変えて現れている可能性がある。
わずか一夜で34人もの命が失われ、家族・友人・町全体を巻き込んだ悲劇であった。
救助にあたった者たちは、その後も長く悪夢にうなされ、当時を語ることを避けたという。
つまり、この地に漂う“気配”は、語られぬまま残された無数の記憶である。
夜の物部川の流れは、まるで何かを探すように音を立て続ける。
それは、あの晩、闇の底へ沈んだ人々の声なのかもしれない。
事故の悲劇を忘れぬために建てられた慰霊碑は、静寂の中で今もなお、誰かの涙を吸い続けているように見えるのである。
この地を訪れる者は、軽い気持ちで立ち入らぬ方がよい。
慰霊のための祈りの場であり、そこに立つ者は、かつての叫びを聞かぬよう心を鎮めねばならない。
風が鳴く夜、川の底からの冷たい気配が、訪問者の背筋をそっと撫でてゆくであろう。
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