摫津市の平和公園にひっそりと佇む「祈る子」の像。平和と未来を願って建立されたはずのそのモニュメントには、なぜか“触れてはならぬもの”という忌まわしい噂が伝わる。今回は、平和公園 祈る子にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
平和公園 祈る子とは?

摂津市学園町に位置する平和公園は、市制施行20周年を記念して昭和61年(1986年)に開園した公園である。
園内は北・中央・南の三ゾーンに分かれ、梅林や広場、アーチ型カリヨン、そして広島市から譲り受けた被爆石のモニュメントなど、平和への願いを象徴する施設が多く配置されている。
「祈る子」の像は昭和63年(1988年)、国際児童年10周年を記念して建立された像であり、未来を担う子どもたちの幸せと世界平和を願う象徴として造られたものである。
像の周囲には千羽鶴が飾られ、訪れる者は無意識に足を止めてしまうほどの静かな存在感を放っている。
しかし、この平和の象徴ともいえる像には、いつしか“触れてはならない”という不穏な噂が根付くようになった。
園内では少女や男性の幽霊が目撃されたという事例、さらには園内の木で首を吊った自殺があったという話まで囁かれはじめ、地元の人々の間で「祈る子の像はただのモニュメントではない」と恐れられているのである。
平和公園 祈る子の心霊現象
平和公園 祈る子の心霊現象は、
- 祈る子の像に触れた後、不運が続くという噂
- 少女の霊が公園内で目撃される
- 男性の幽霊が園内を横切る姿を見たという報告
- 園内の木で起きた自殺の影が今も漂うという話
- 子どもが遊ぶと“祈る子が喜ぶ”という不可解な口コミ
- 願いを祈ると悩みが解消するとも言われる「祈る子のパワー」
である。以下、これらの怪異について記述する。
祈る子像に関する噂の中でも特に多いのが、「像に触れると良くないことが起こる」というものである。
像そのものは平和の象徴であるにもかかわらず、触れた後に事故や人間関係の悪化など、思いもよらぬ不運に見舞われたと語る者が後を絶たない。単なる思い込みとして片づけるには、証言の数が多すぎると囁かれている。
園内で目撃される少女の霊は、像によく似た姿をしていると語られる。
夜の園内で“祈る子”の前に影のように立ち尽くし、こちらの視線に気づくとスッと木々の間へ消えるという。
また、像とは無関係と思われる男性の幽霊が園内を横切る姿を見たという報告もあり、平和公園一帯に霊的な気配が漂っているのではないかと疑われている。
さらに、園内の木でかつて首吊り自殺があったという話は、地元では知られた噂である。
事実かどうか確証はないが、その木の近くで人の気配を感じる、誰もいないのに背後から足音がするなどの体験談が複数存在する。
一方で、日中に子どもが公園で遊んでいると「少女が喜んで見守っている」と語る者もいる。
霊の存在が善悪どちらに振れているのか、判断が難しい不可解な印象を与えている。
また、祈る子の像の前で祈ると、悩みや悲しみが和らぐという口コミもあり、負の体験だけでは語れない“力”がこの像には宿っているのではないかと推測されている。
平和公園 祈る子の心霊体験談
ある利用者は、母親と絶縁状態になった日から「祈る子の像」に強く惹かれるようになったという。
偶然にもスマートフォンが電源OFFになり連絡が取れず、関係が途切れた形になった日であった。
数日後、本人は何かに導かれるように祈る子像を訪れた。
像の前に立つと、胸の奥にひんやりとした空気が入り込むような感覚がしたという。
恐怖に似た感覚だったが、同時に涙が自然とこぼれ落ち、怒りや後悔がすっと薄れていった。
その後、母親と再び話す機会が訪れ、絶縁状態は解消されたという。
本人は「あれは祈る子の力である」と語り、像の前で手を合わせることで心の重荷が消えていったと振り返っている。
しかし、不思議なのは、祈った後しばらくのあいだ、公園の出口付近で“誰かに見られている気配”が続いたという点である。
振り返っても誰もいないのに、背中に視線がまとわりつくような感覚が離れなかったと本人は語る。
その視線が像の少女なのか、自殺者の霊なのか、あるいは別の存在なのかはわからないまま、今もその答えは残されている。
平和公園 祈る子の心霊考察
祈る子像は平和を願う目的で造られたモニュメントである。
しかし、その象徴性の強さゆえに、人々の感情や祈りが多く集まり、霊的な“場”が形成されやすいと考えられる。
千羽鶴や慰霊のモニュメント、被爆石といった歴史的背景も、場所に特異な気配を生みやすい要因となっている。
少女の霊の目撃談は、像に宿る思念が投影される形で現れている可能性がある。
日中の子どもを見守るという口コミと、夜間に見かける不気味な影の存在は、祈る子像が“善悪どちらとも言えない中間の性質”を帯びていることを示唆している。
男性の幽霊や自殺の噂が園内に重なり、複数の霊的要因が共存している可能性もある。
平和を願う場であるにもかかわらず、夜間になると異様な空気が漂うのは、祈りと悲しみが同時に積み重なった“感情の層”が濃く残っているからだと推測できる。
触れると良くないことが起きるという噂も、像がただの彫刻以上の“依り代”として扱われている証左と言えるだろう。
祈りを受け止める存在は、時に人の感情に引きずられ、予期しない形で作用することがある。
祈る子像が放つ気配は優しさだけでも恐怖だけでも説明できず、訪れた者の心の状態を静かに映し出す鏡のような存在である可能性が高い。
平和公園は昼と夜でまったく異なる顔を見せる場所であり、それこそが人々がこの像に畏れを抱く理由であると言える。

のウワサの心霊話-500x500.jpg)





コメント