幽霊を信じる人がいる一方で、当然のように「信じない」と言い切る人も存在する。
科学的に証明されていないから。 論理的に説明できないから。 作り話にしか思えないから。
理由は様々だが、幽霊を信じないという態度もまた、ひとつの立場であり、ひとつの心理である。
本記事では、幽霊を否定する人を批判するのではなく、 なぜ人は幽霊を信じないのかという問いそのものを考察していく。
否定は理性ではなく「態度」である
幽霊を信じない人は、理性的で冷静な存在として語られがちである。
しかし実際には、 「信じない」という選択は、必ずしも論理だけで決められているわけではない。
- 曖昧なものを排除したい
- 不確かな話に巻き込まれたくない
- 説明できない存在を受け入れるのが不安
これらは理屈というより、 世界との距離の取り方に近い。
否定とは、感情を切り離すための態度でもある。
幽霊を信じないことで世界は安定する
幽霊の存在を認めるということは、 世界が予測不能であることを受け入れることでもある。
それは人によっては、大きなストレスになる。
幽霊を否定することで、
- 世界は物理法則で説明できる
- 原因と結果ははっきりしている
- 理解できない出来事は存在しない
という秩序が保たれる。
つまり幽霊を信じないことは、 世界を安定させるための防衛反応とも言える。
信じない人ほど、線引きを重視する
幽霊を信じない人の多くは、
- 本当と嘘
- 現実と虚構
- 科学と非科学
といった境界をはっきりさせたがる傾向がある。
境界が曖昧になることは、 自分の立ち位置が揺らぐことを意味する。
第6弾で触れたように、 幽霊は「境界」に生まれる現象である。
だからこそ、境界を守りたい人にとって、 幽霊は受け入れがたい存在となる。
否定は「恐怖への対処」でもある
第7弾では、人が恐怖を求める欲望について扱った。
しかし全ての人が、 恐怖を娯楽として消費できるわけではない。
幽霊という概念そのものが、 不安や恐怖を強く刺激してしまう人もいる。
その場合、 最も有効な対処法は「否定」である。
幽霊はいない。 作り話だ。 考える必要はない。
そう言い切ることで、 恐怖は遠ざけられる。
幽霊を信じない人も、物語から自由ではない
重要なのは、 幽霊を信じない人もまた、物語の外にいるわけではないという点である。
- 科学万能主義
- 合理性への信頼
- 非科学的なものを排除する姿勢
これらもまた、 世界を説明するための物語である。
第3弾で扱ったように、 人は曖昧さに耐えきれず、意味を与えずにはいられない。
否定とは、 別の物語を選び取る行為に過ぎない。
これまでの考察との接続
本記事は、第7弾の対になる位置にある。
- 恐怖を求める人(第7弾)
- 恐怖を拒む人(第8弾)
どちらも、人間が世界と向き合うための方法である。
揺らぎのある世界の中で、
- 意味を与えて近づく人
- 距離を取って整理する人
その違いが、 信じる/信じないという態度の差を生んでいる。
おわりに
幽霊を信じる人と、信じない人。
そのどちらが正しいかを決めることはできない。
重要なのは、 どちらも同じ世界を、違う距離感で見ているという事実である。
幽霊を信じないという選択もまた、 人間が揺らぎのある世界を生き抜くために編み出した、 ひとつの知恵なのかもしれない。
否定の裏側にも、 確かな人間の心理が存在している。
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