愛媛県新居浜市に残る煙突山(旧山根精錬所煙突)には、古くから霊の目撃談が絶えないという不気味な噂がある。今回は、煙突山(旧山根精錬所煙突)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
煙突山(旧山根精錬所煙突)とは?
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煙突山とは、新居浜市の生子山に残された赤レンガ造りの煙突である。
正式には山根精錬所の遺構であり、明治21年(1888年)、別子銅山で廃棄されていた低品質鉱石から硫酸や鉄を回収する目的で建設された。
設計を手がけたのは東京大学教授・岩佐巌であり、当時としては日本最先端の重化学工業施設であった。
しかし事業は長続きせず、わずか6年余りで閉鎖に追い込まれた。
その後も煙突だけが取り残され、市民からは「えんとつ山」と呼ばれ親しまれてきた。
現在は国の登録有形文化財に指定され、表向きは歴史的建造物として保存されている。だが、その裏には人々が恐れる心霊の噂が潜んでいるのである。
煙突山(旧山根精錬所煙突)の心霊現象
煙突山(旧山根精錬所煙突)の心霊現象は、
- 煙突周辺で霊の姿を目撃する
- 山道で人の気配や足音に追われる
- 山頂で人影が横切るが、近づくと消える
- 煙突付近で声をかけられたように振り返ると誰もいない
である。以下、これらの怪異について記述する。
煙突山では、とくに夜間や人通りの少ない時間帯に不可解な現象が集中するといわれている。
「煙突の下に女性の霊が立っていた」「背後から足音が近づくのに、振り返ると誰もいない」といった体験談が相次いでいる。特に頂上付近では、人影がふっと現れては霧のように消えるという報告が多い。
この不気味さは、歴史に刻まれた惨劇と無関係ではないと考えられている。
煙突の建つ生子山には、かつて戦国時代に「生子山城」が築かれていたが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉の四国征伐によって落城し、多くの兵が命を落としたと伝わる。
さらに近隣の別子銅山では、明治32年(1899年)に台風による山津波で約600名もの死者が出ており、この地に積み重なった怨念が煙突周辺で形を成しているのではないかと恐れられている。
煙突山(旧山根精錬所煙突)の心霊体験談
実際に訪れた人の中には、昼間でさえ異様な気配を感じたと語る者がいる。
山道を登っている最中、背後から確かに人がついてくるような足音が聞こえ、振り返ると誰もいない。
心臓が高鳴り、足を速めるほどに足音も同じ速度で迫ってきたという証言も残されている。
また、煙突の前で記念撮影をしたところ、写真に見知らぬ顔が写り込んでいたという話もある。
煙突の赤レンガの陰から、じっとこちらを見つめる表情が浮かび上がっていたといい、その写真を見た者は皆一様に「普通の人間ではない」と口をそろえる。
煙突山(旧山根精錬所煙突)の心霊考察
煙突山で多発する心霊現象は、偶然や錯覚として片付けられるものではないだろう。
戦国時代の落城、明治の山津波という二つの惨劇が重なり、この地には数えきれぬほどの無念が渦巻いている。
さらに、山根精錬所の失敗により取り残された煙突自体が「負の記憶」を留める存在となっていると考えられる。
煙突山は、歴史的には産業遺産でありながら、同時に怨念が染みついた“呪われた記念碑”でもあるのかもしれない。
霊が目撃されるのは、ここが単なるハイキングコースではなく、数百年にわたり死者の記憶が眠り続ける場所だからである。
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