北海道美唄市に位置する「円形校舎廃墟(沼東小学校)」は、そのユニークな建築様式と廃校後の不気味な雰囲気から心霊スポットとして知られている。今回は、円形校舎廃墟(沼東小学校)のウワサの心霊話を紹介する。
円形校舎廃墟(沼東小学校)とは?
沼東小学校は、1906年に「盤之沢簡易教育所」として開校。当初は20名ほどの児童が通う小さな学校だった。
しかし、近隣にあった三菱美唄炭鉱の発展に伴い、地域の人口が急増し、学校の規模も拡大。
最盛期には29学級、約1,570名の児童が在籍していた。
その後、炭鉱の閉山(1972年)に伴い地域人口が減少し、わずか2年後の1974年に沼東小学校は廃校となった。
校舎は上空から見ると円形をしており、当時の建築トレンドを反映した独特のデザインだった。
この形状から「円形校舎」と呼ばれていたが、現在は取り壊されており、当時の面影を残すのみとなっている。
円形校舎廃墟(沼東小学校)の心霊現象
円形校舎廃墟(沼東小学校)で語られる心霊現象は以下の通りである。
- 赤いランドセルの少女の霊
- 校内で感じる正体不明の気配
- 肝試しをした者の錯乱と行方不明
- 写真撮影時に写り込む白いモヤ
- 建物内での不可解な声や音
赤いランドセルの少女の霊
最も有名な話として、「赤いランドセルを背負った少女の霊」が挙げられる。
この少女はかつて沼東小学校に通っていた生徒で、授業中に突如姿を消したとされる。
警察や地元住民による大規模な捜索が行われたが、発見されることはなかった。
この出来事は「神隠し」として恐れられ、現在でも少女の霊が校舎や周辺に出没するという。
校内で感じる正体不明の気配
廃墟となった校舎に足を踏み入れると、多くの訪問者が「誰かに見られている」という感覚を覚えるという。
特に、校舎の教室や廊下では不気味な視線を感じたり、気配を感じたりするとの報告がある。
肝試しをした者の錯乱と行方不明
肝試しを目的に訪れた者の中には、校舎内で突然錯乱状態に陥り、行方不明になるという事件も起きているとされる。
このため、地元住民の間では「この場所には近づくべきではない」と語り継がれている。
写真撮影時に写り込む白いモヤ
訪問者が校舎内で写真を撮影すると、白いモヤや不気味な影が写り込むという。
この現象を目撃した者たちは恐怖に駆られ、その場から急いで逃げ帰ったという体験談も多い。
建物内での不可解な声や音
夜間に校舎内を訪れると、誰もいないはずの建物から子供の笑い声や「フフフ」といった囁き声が聞こえるという。
また、廊下を歩く足音や教室の中で物が動く音も報告されている。
円形校舎廃墟(沼東小学校)の心霊体験談
体験談1:赤いランドセルの少女
「13年前、家族で訪れた際、校舎を遠目に見ながら歩いていると、ポプラの木が不気味な音を立て、異様な雰囲気を感じた。その帰り道、霊感の強い母が『女の人のため息の声が聞こえた』と語り、背筋が凍った。」
体験談2:撮影中の異変
「昼間に一人で訪れ、撮影しようとしたが、急にカメラのシャッターが動かなくなった。無理やり撮影すると、白いモヤが写り込んでいた。その後、PCにデータを移そうとしたが、原因不明のエラーが続いた。」
体験談3:不可解な声
「夜間に訪れた際、校舎の二階から『フフフ』という笑い声が聞こえた。さらに、置いたおもちゃが数日後に誰も届かない場所に移動していた。」
円形校舎廃墟(沼東小学校)の心霊考察
円形校舎廃墟にまつわる心霊現象の多くは、過去の事件や未解決の謎と深く関係している可能性がある。
赤いランドセルの少女の霊は、突然の失踪や未解決の事件に対する無念さを象徴していると考えられる。
また、校舎の独特な構造や廃墟特有の雰囲気が訪問者の心理的影響を強め、心霊現象を引き起こす一因となっているかもしれない。
一方で、肝試しなどの軽率な行動が霊的存在を刺激し、不幸を招く可能性も否定できない。
訪問する際には、この場所に込められた歴史と悲劇に敬意を払い、慎重な行動を心がけるべきである。
円形校舎廃墟(沼東小学校)は、美唄市における歴史的な遺産であると同時に、未だに多くの謎と恐怖を秘めた場所である。
興味本位での訪問は避け、この場所の歴史を学び、心霊スポットとしての話題に対しても尊重の念を持つことが求められる。
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