栃木県栃木市に位置する大中寺は、歴史と怪奇が交錯する古刹である。ここには「青頭巾」や「七不思議」といった数々の恐ろしい伝説が残されている。今回は、大中寺にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
大中寺とは?
大中寺は1154年(久寿元年)に創建されたと伝えられる寺院である。
当初は真言宗の寺院として設立されたが、1489年(延徳元年)に快庵妙慶禅師を迎えたことで曹洞宗に改宗された。
寺は戦国時代には上杉謙信や北条氏と深い縁を持ち、江戸時代には曹洞宗の関三刹の一つとして重要な役割を果たしていた。
この寺の名が怪談として語り継がれるようになったきっかけは、江戸時代に上田秋成が記した『雨月物語』の中の一篇「青頭巾」である。
この物語をきっかけに大中寺は怪奇の舞台として知られるようになり、その後も数々の怪異伝説が語り継がれている。
大中寺の心霊現象
大中寺で語られる心霊現象は以下の通りである。
- 青頭巾の霊:人肉を食べた僧侶が鬼と化し、今も寺を彷徨う。
- 根なし藤:快庵禅師が青頭巾を弔うために刺した藤の杖が成長したもの。
- 馬首の井戸:井戸から聞こえる馬のいななき。
- 開かずの雪隠:豪族の妻が自害した厠。
- 不断のかまど:焼け死んだ修行僧の霊により火が絶えないかまど。
- 枕返しの間:泊まると頭と足の向きが逆になる部屋。
- 東山の拍子木:異変が起こる前に聞こえる拍子木の音。
これらの現象は七不思議として語り継がれ、訪れる者に恐怖を与えている。
青頭巾の霊
江戸時代の怪談「青頭巾」に登場する住職は、愛する稚児を亡くしたことで正気を失い、その遺体を食べてしまった。
その後、夜な夜な墓を暴き死肉を漁るようになった住職は「人食い鬼」として恐れられる存在となった。
やがて快庵妙慶禅師が彼を諭し、最期には藤の杖を墓標として弔った。
現在、その藤が大木となって「根なし藤」として残っている。
馬首の井戸
戦に敗れた晃石太郎が大中寺に逃げ込んだ際、住職に匿うことを拒否されたため、愛馬の首を切り落として井戸に投げ込み、自らも自害した。
その後、井戸から馬のいななきが聞こえるようになり、時には水面に馬の首が浮かび上がるとも言われる。
開かずの雪隠
晃石太郎の妻は夫の死を知り、この寺の厠で自害した。
その後、この雪隠には彼女の生首が現れると恐れられ、以来扉が固く閉ざされたままとなっている。
不断のかまど
修行僧がかまどの中で眠っていたところ、気づかず火を焚かれ焼死した。
この事件以来、かまどの火が絶えなくなったという。
枕返しの間
本堂の一角にある部屋では、宿泊者が朝起きると頭と足の向きが逆さになっていることがある。
これが繰り返されるため「枕返しの間」として恐れられている。
東山の拍子木
異変が起こる前、大中寺の東にある山から拍子木の音が一度だけ聞こえるとされている。
この音は住職にしか聞こえないという。
大中寺の心霊体験談
ある訪問者は「根なし藤」の前で記念写真を撮影した際、後にその写真に青白い鬼火が写っていたという。
また、夜間に寺を訪れた者が井戸を覗き込んだ際、馬の首のような影が浮かび上がったと語る者もいる。
大中寺の心霊考察
大中寺に伝わる七不思議や青頭巾の物語は、寺の歴史に深く根差している。
特に青頭巾の逸話は、人間の執着や狂気が形となって霊的現象として現れた例といえるだろう。
さらに、七不思議にまつわる現象も、それぞれが人々の恐怖と興味を引きつける要素を持っている。
現在、大中寺は訪問者を受け入れる寺院として開放されているが、その背後に潜むこれらの怪異が今もなお人々を魅了していることは間違いない。
この寺を訪れる際は、その背後に秘められた物語に思いを馳せつつ、一歩一歩を慎重に進めるべきである。
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