心霊話の結末として頻繁に登場する言葉が「成仏」である。幽霊は何かしらの未練を残し、それを解消することで消えていく。非常に分かりやすく、救いのある考え方だ。
しかし、この成仏という概念は、本当に現象として存在しているのだろうか。
成仏は現象ではなく「物語」である
まず冷静に考えると、成仏を客観的に確認した例は存在しない。幽霊が消えた理由が成仏なのか、最初から錯覚だったのか、それを区別する方法はない。
成仏とは、心霊現象そのものよりも、「人間が納得するための説明」として作られた概念ではないかという疑いが残る。
人は「終わり」を求める
人間は、終わりのない話を嫌う。幽霊が永遠にさまよい続けるという結末は、恐ろしく、後味が悪い。だからこそ、成仏という言葉が必要になる。
未練が解消され、救われ、消えていく。この流れは、人間側の精神を安定させるための構造とも言える。
つまり成仏とは、幽霊のための概念というより、生きている側のための概念なのではないか。
もし幽霊が「痕跡」だとしたら
前提として、幽霊を意思ある存在ではなく、感情や記憶の痕跡だと考えた場合、成仏という概念は成立しにくい。
痕跡は、自然に薄れ、消えることはあっても、何かを理解したり、納得したりはしない。ただ時間とともに弱まるだけである。
それを「成仏した」と表現しているだけだとすれば、幽霊は救われたわけでも、解放されたわけでもない。ただ、人間の知覚から消えただけなのかもしれない。
成仏があるとすれば、それは誰のためか
それでもなお、人は成仏という言葉を手放さない。そこには、「死後も意味がある」「苦しみはいつか終わる」という希望が含まれている。
成仏とは、幽霊の行き先ではなく、人間の安心の置き場所なのだろう。
幽霊が本当に成仏しているのか、それとも最初から存在していなかったのか。その答えは分からない。ただ一つ言えるのは、成仏という概念自体が、人間の恐怖と優しさの両方から生まれた、非常に人間的な発想だということである。
そもそも、私たちは「存在とは何か」を正しく理解しているのだろうか。その問いは、宇宙が生まれる以前の「無」にも通じている。
→【宇宙以前の揺らぎと幽霊の存在可能性】


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