工場の閉鎖後、廃墟と化したこの場所は、多くの怪奇現象や幽霊の目撃情報が報告され、心霊スポットとして知られるようになった。今回は、横浜市鶴見区にかつて存在した「オラガビール工場跡地」にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
オラガビール工場跡地とは?
オラガビール工場跡地は、1920年(大正9年)に日英醸造会社によって横浜市鶴見区に設立されたビール工場である。
ここでは「カスケードビール」と呼ばれるビールが製造されていたが、1927年に寿屋(現サントリー)に買収され、製品は「オラガビール」として再ブランド化された。
当時の首相・田中義一の口癖「おらが」がその名の由来であった。工場はその後、大手ビール会社との競争に敗れ、1934年にビール事業から撤退し、廃墟となった。
その後、この廃墟は妙高企業の倉庫として利用されていたが、使用されなくなると洋館風の巨大な建物が残され、廃墟マニアや心霊マニアの間で有名な場所となった。
2008年に建物は解体され、現在はその面影を残すものはほとんど存在しないが、廃墟時代に起こった心霊現象や不気味な噂は今も語り継がれている。
オラガビール工場跡地の心霊現象
オラガビール工場跡地では、次のような心霊現象が報告されている。
- 首のない女の子の霊が三輪車をこいで現れる
- 窓ガラスに無数の手跡が現れる
- 地下室から聞こえる謎のうめき声
- 廃墟内を彷徨う人影
これらの現象は、工場が廃墟となってから多くの人々によって目撃されており、訪れる者たちに恐怖を与えている。
首のない女の子の霊が三輪車をこいで現れる
この工場跡地で最も有名な心霊現象の一つが「首のない女の子の霊が三輪車をこいで現れる」というものである。
夜間に廃墟を訪れた者たちの前に、突然首のない女の子が三輪車に乗り、無言で彼らを追いかけてくるという。
この女の子の霊がなぜこの場所に現れるのか、その背景については詳しく分かっていないが、工場の労働環境にまつわる悲劇的な事故や事件が関連しているのではないかと噂されている。
窓ガラスの手跡
工場の窓ガラスには、訪問者が中を探索している際に突然無数の手跡が現れることがあるという。
この現象は、工場で事故や事件により亡くなった労働者たちの怨念が影響していると考えられており、まるで彼らが未だにその場所に閉じ込められ、助けを求めているかのようだ。
手形は、誰もいないはずの廃墟内から突然浮かび上がり、瞬く間に消え去るという。
地下室から聞こえる謎のうめき声
訪問者が工場の地下室に近づくと、どこからともなくうめき声やすすり泣きの声が聞こえることがあるという。
この地下室はかつてビールの貯蔵庫として使用されていたが、廃墟となった後は暗闇に包まれ、不気味な雰囲気が漂っている。
これらの音は、工場での過去の出来事や、そこで命を落とした者たちの無念が、今もその場所に留まっているためと考えられている。
廃墟内を彷徨う人影
オラガビール工場跡地では、正体不明の人影が徘徊するという目撃談も多い。
廃墟内を訪れた者たちは、遠くの暗闇の中に白い影が動くのを見たという。
これらの幽霊は、まるで何かを探しているかのように建物内をさまよい、近づくと突然消え去るという。
その正体は依然として不明であり、幽霊たちが何を訴えようとしているのかは分かっていない。
オラガビール工場跡地の心霊体験談
あるグループが深夜に工場跡地を訪れた際、廃墟内を探索していると、突然窓ガラスに無数の手跡が現れ、その直後に「首のない女の子の霊」が三輪車に乗って現れた。
彼らはその場を恐怖のあまり逃げ出し、以降二度とこの場所に近づくことはなかったという。
また、他の訪問者が地下室で写真を撮影した際、白い影が写り込んでおり、それがこの世のものではないと確信したという話もある。
オラガビール工場跡地の心霊考察
オラガビール工場跡地は、その歴史的背景と併せて、数々の心霊現象が報告されている場所である。
特に、工場の労働環境や経営難に悩まされた人々の思いが、そのままこの地に残っているようだ。
廃墟となった工場の寂れた雰囲気が、訪れる者の恐怖心を増幅させると同時に、何かしらの存在を感じさせるのだろう。
現在、この場所はコンビニエンスストアに生まれ変わっているが、かつての心霊現象の噂は消えることなく、今もなお人々の記憶に残り続けている。
廃墟が解体された後も、この地にはかつての悲劇の影が色濃く残っているのかもしれない。
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