高知県津野町に存在する風神鎮塚には、処刑された義人・中平善之進の怨念が今もなお渦巻いていると語られている。突如として吹き荒れる暴風雨や原因不明の機械故障、さらには交通事故といった不可解な出来事が続くこの地には、恐ろしい心霊のウワサが絶えないという。今回は、風神鎮塚にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
風神鎮塚とは?

風神鎮塚は、高知県津野町の国道197号線脇に位置する塚である。
祀られているのは宝暦5年(1755年)に勃発した津野山騒動の首謀者、中平善之進である。
当時の土佐藩は財政難に陥り、紙や茶、木材といった農民の副業を専売制に組み込み、御用商人を通じて安価で買い叩いた。
これにより百姓の生活は急速に窮乏し、怨嗟の声が渦巻いた。
梼原村の庄屋であった善之進は、不正を働いた御用商人・蔵屋利左衛門を藩に直訴し、その悪行を暴いた。
しかしその代償として、一揆を企てた罪に問われ、宝暦7年(1757年)7月26日に処刑されたのである。
その瞬間から高知城下は暴風雨に襲われ、七日七晩荒れ狂った。
この異変は「善之進時化」と呼ばれ、人々に恐れられた。
やがて明治19年(1886年)にも同様の暴風雨が発生し、翌年、祟りを鎮めるために塚が建てられた。
それが風神鎮塚である。
風神鎮塚の心霊現象
風神鎮塚の心霊現象は、
- 突如として吹き荒れる暴風や時化
- 塚を崩そうとした工事でのショベルカー故障
- 塚周辺で頻発する交通事故
- 供養の壷が飛び出すという怪異
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず恐れられているのが、突然吹き荒れる突風である。
善之進が斬首された直後に高知城下を襲った暴風雨は七日七晩続き、まるで怨念が天候を支配しているかのようであった。
その現象は時を経ても止むことなく、塚周辺では不意に暴風が吹き、通行人を怯えさせている。
また、昭和52年(1977年)、国道197号線の拡幅工事にて塚を移そうとしたところ、異様な出来事が起こった。
ショベルカーが塚を掘り下げると、中から供養のための壷が突如勢いよく飛び出したのである。
その壷は地面に落ちても割れることなく、逆にショベルカーが原因不明の故障により動かなくなった。
この不可解な現象は「善之進の祟り」によるものだと噂され、以降塚に触れることは避けられるようになった。
さらに、この塚周辺では交通事故が頻発している。
突風によるハンドル操作の誤りや、原因不明の事故死が語られ、地元住民は「風神の祟り」として恐れているのである。
風神鎮塚の心霊体験談
実際にこの場所を訪れた者の中には、異常な体験を語る者が少なくない。
国道沿いにある塚を一度通り過ぎ、戻って参拝した際、急に周囲の風が強まり、耳鳴りのような音が響いたという証言がある。
また別の者は塚を撮影しようとしたところ、カメラが突然動かなくなり、その後原因不明の故障を起こしたという。
塚の周辺では「見えないものに押された」と語る者や、車で通りかかった際に突如として強い風に煽られ、事故寸前となった者も存在する。
これらの体験談は善之進の怨念が今なお生き続けている証であるとされている。
風神鎮塚の心霊考察
風神鎮塚は、単なる供養塚ではなく“祟りを鎮めるための結界”としての意味合いを持つ場所である。
善之進は義人として祀られたが、その死に纏わる理不尽さは、無念と怨嗟を消すことができなかったのだろう。
暴風雨を操るかのような現象、機械の故障、交通事故――いずれも自然現象として説明できる余地はある。
しかし、この場所で同様の怪異が繰り返されていることを考えると、偶然では片付けられない。
即ち風神鎮塚とは、今もなお“風”を媒介にして善之進の怨念が現世に干渉している場所なのである。
訪れる者は軽い気持ちで近づいてはならない。
風がざわめいた瞬間、それは善之進の怒りの息吹であるかもしれないのだ。
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