徳島県の山中にひっそりと存在する「獄門峠」には、今なお語り継がれる戦慄の心霊話がある。歴史の影に隠れた残酷な処刑の記憶と、深夜に現れるという異形の存在たち――今回は、静寂の中に潜む不気味な気配を孕んだ、獄門峠のウワサの心霊話を紹介する。
獄門峠とは?

獄門峠は、徳島県神山町に存在する静かな山道である。
しかし、その地に刻まれた過去はあまりにも凄惨であった。
江戸時代、この地に隣接する鮎喰川の河原には重罪人の処刑場が設けられていた。
斬首された罪人の首は、峠の木に縄で括り付けられ、名札と共に晒されたという。
旅人への見せしめとするための獄門、すなわち「獄門場」である。
その慄然たる風習があったため、この峠は「獄門峠」と呼ばれるようになった。
現在は看板一つが残るのみであるが、その名の響きと背景にある惨劇が、多くの者の心に不安を植え付けている。
獄門峠の心霊現象
獄門峠の心霊現象は、
- 夜になると、生首が宙に浮かび漂っている
- 木々の間から、こちらを凝視する無数の目が見える
- 通りかかった車の窓に、血まみれの顔が映り込む
- 誰もいないはずの道端から、「名を返せ」と呻く声が聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
生首が宙を漂うという現象は、首を刎ねられた罪人たちの怨念が姿をなしたものであるとされる。
満月の夜に限って出没するとも言われ、浮遊する首は誰のものでもなく、無数の表情が次々と入れ替わるように見えるという証言もある。
木々の間から視線を感じるという現象については、処刑された者たちの魂が今もなお峠の木に縛られ、通行人を見下ろしているのではないかと推測されている。
眼球のようなものが木の幹から浮かび上がる光景を見たという者もおり、その証言の数は一人や二人ではない。
車の窓に映る血まみれの顔――これは、獄門に晒された罪人の霊が、未だ自らの存在を訴えかけてくるものであるという。
峠を走行中に顔を背けられない何かに惹かれ、事故を起こした例もあるとの噂がある。
そして「名を返せ」という呻き声。
これは、獄門に吊るされた際に名をさらされた者たちが、己の名誉を奪還せんと叫んでいるという説が有力である。
特に雨の日の夜、誰もいない峠道でこの声を聞いたという報告が複数存在している。
獄門峠の心霊体験談
ある男性が、獄門峠を徒歩で通り抜けた際のことである。
日はすでに落ち、人気のない山道を歩いていた彼は、ふと背後に気配を感じた。
振り返っても誰もおらず、ただ木々の隙間から生温かい視線を感じるだけであったという。
足早にその場を離れようとした瞬間、「名を返せ」という低い男の声が、彼の耳元で囁かれた。
振り返ることもできず、彼は全身の力が抜けたようになり、這うようにして峠を後にしたという。
彼は今もその出来事を語るとき、決して峠の名を口に出そうとしない。
獄門峠の心霊考察
獄門峠の名に込められた歴史の重みと、そこで行われた非人道的な見せしめの数々が、この場所を強力な心霊地帯へと変貌させた要因であると考えられる。
怨霊とは、無念の死を遂げた魂が解放されぬままこの世に留まり続ける存在である。
獄門とは、罪を超えて名までさらされ、誇りを奪われた死者たちの最終地点である。
その痛みは、死してなお癒えることがない。
加えて、「獄門峠」という名が人々の記憶に残り続けること自体が、霊的な力の源泉となっている可能性がある。
名前に宿る記憶が、霊の存在を固定化させ、峠そのものを呪詛の場として機能させているのではないだろうか。
獄門峠は、ただの地名ではない。
そこには、語られぬ死者たちの名と叫びが、今なお刻まれているのである。
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