萩市の観光名所として知られる萩城跡指月公園は、四季折々の美しさを見せる一方で、古より数多の霊が彷徨う心霊スポットとしての顔も持つ。今回は、萩城跡指月公園にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
萩城跡指月公園とは?

萩城跡指月公園は、山口県萩市にある史跡であり、国の史跡にも指定されている。
かつて関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が、広島城から移されるかたちで築いた居城であり、1604年より築城が始まり1608年に完成。
城は指月山の麓に位置し、そのため「指月城」とも呼ばれるようになった。
この地は江戸期には長州藩の政治・軍事の中枢であり、明治維新に大きな影響を与えた地でもある。
1874年の廃城令により取り壊されたが、現在でも石垣や城跡、志都岐山神社、花江茶亭など当時の面影が随所に残る。
また、桜の名所としても知られ、春には着物姿の観光客で賑わう。
しかし、昼間の華やかさとは裏腹に、この地には古より数々の怪異が語り継がれている。
萩城跡指月公園の心霊現象
萩城跡指月公園の心霊現象は、
- 白装束の女性の霊が現れる
- 首のない武士に追いかけられる
- 作業服を着た霊が出没する
- 落武者の霊の目撃情報が絶えない
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず最も有名なのが、白装束をまとった女性の霊である。
観光客や肝試しに訪れた若者たちが、城跡の石垣や木々の間から突然姿を現すこの女に遭遇する。
夜道でその姿を見かけた者は、得も言われぬ寒気と視線を感じると語る。
次に恐れられているのが、首のない武士の霊である。
彼は白い着物を身にまとっていることが多いが、時には作業着を着た姿で現れるとも言われている。
特に指月山の山頂付近では、「気配を感じた途端、後ろから駆け寄ってくる音がする」「誰もいないはずなのに肩を叩かれた」という証言が複数寄せられている。
また、作業服を着た霊に関しても不可解な点が多い。
落武者や侍とは異なる現代的な服装をしたこの霊は、訪問者を追いかけ回すという報告が多く、まるで肝試しの侵入者を排除しようとしているかのようである。
時には「足音だけが背後からついてくる」「無言で背後に立っていた」といった証言もある。
さらに、落武者の霊の出現は特に頻繁である。
鎧を着た姿、槍や刀を手にした霊が、城跡周辺や志都岐山神社付近で目撃されており、その目は現世への未練と怒りを滲ませているという。
萩城跡指月公園の心霊体験談
40年前、ある修学旅行生が体験した不可解な出来事が記録に残っている。
当時、サイクリングで明神池から松陰神社まで向かう予定だった彼は、交通ルールを守るために歩道では自転車を押して歩いていた。
やがてルートを外れてしまい、一人迷子となる。
誰もいないはずの林の中で何かの視線を感じ、鳥肌が立ったという。
ようやく別のクラスに追いついた時には、すでに目的地から遠く離れていた。
その後、自身のクラスの担任に発見され叱責を受けるが、彼は「あの時の違和感はいまだに忘れられない」と語っている。
迷ったのは単なる偶然か、それとも何かに呼ばれたのか――。
本人は「あれは霊障だったのではないか」と語っている。
萩城跡指月公園の心霊考察
萩城跡指月公園には、戦国時代の霊と現代の霊が交錯しているという点で、特異な特徴を持つ心霊スポットである。
白装束の女や首のない武士は、城が戦乱と共に築かれ、多くの血が流れたことに起因していると考えられる。
怨念が消えることなく土地に染みつき、時を超えて今も現れるのであろう。
一方、作業服の霊という現代的な存在が目撃されている点については、昭和・平成以降の時代に何らかの事故や事件が起こった可能性を示唆している。
山頂付近は人気が少なく、何があっても不思議ではない立地である。
また、霊たちは「外から来る者」に強い関心や敵意を抱いているように見える。
観光地化され、桜の名所として賑わう一方で、夜になると人々を寄せつけまいとするかのような空気が漂う。
光と闇の二面性を持つこの地は、歴史的価値とともに、数多の霊が眠る“現代に残された魔所”であると結論づけられる。
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