氷川丸は、かつて豪華客船として活躍したが、戦争中には病院船として改装され、多くの命が失われた場所でもある。そのため、この船には数々の心霊現象が報告され、現在もその恐ろしい噂が絶えない。今回は、氷川丸にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
氷川丸とは?
氷川丸は、1930年に横浜船渠(現在の三菱重工業横浜製作所)で建造された日本郵船の大型貨客船である。
全長163.3メートル、総トン数1万1622トンというその大きさは、当時の日本の造船技術を結集したものであり、シアトル航路を就航する豪華客船として活躍した。
天皇陛下をはじめ、チャーリー・チャップリンなどの著名人も乗船していたことがある。
しかし、1941年11月、太平洋戦争の開始直前に氷川丸は海軍に徴用され、病院船として戦地を行き来することになる。
戦時中、氷川丸は3度も機雷に触雷する被害を受けるが、沈没することなく戦争を生き抜いた。
その間、氷川丸は多くの負傷兵を収容し、船上で命を落とした者も少なくなかった。
特に、戦死者の遺体を火葬にするため、船上の煙突の近くに火葬場が設置され、大量の遺体が火葬に付されたと言われている。
戦後、氷川丸は再びシアトル航路に復帰し、「日本を代表する貨客船」として1953年からシアトル航路に就航。
しかし、旅客機の普及により主要な移動手段が船から飛行機へと変わる時代の流れの中で、氷川丸も1960年にはシアトル航路から退き、貨客船としての役目を終えた。
その後、横浜市長の提案により氷川丸は解体されず、現在は山下公園の特設桟橋に係留され、内部を見学できる施設として保存されている。
氷川丸の心霊現象
氷川丸で報告されている主な心霊現象は以下の通りである。
- エンジン室での異常な暑さと大勢のうめき声
- 無数の船室から聞こえるシャワーの音
- 骸骨が歩く幽霊の目撃情報
エンジン室での異常な暑さと大勢のうめき声
エンジン室は通常稼働していないにも関わらず、異常な暑さを感じることが多い。
さらに、その場で耳を澄ますと、無数の人々のうめき声が微かに聞こえることがあるという。
これらの声は、戦時中にこの船で命を落とした兵士たちの魂が未だに成仏できず、苦しみの中にいることを示しているのかもしれない。
無数の船室から聞こえるシャワーの音
氷川丸の船室からは、誰もいないはずなのにシャワーの音が聞こえることがある。
しかも、その音は一つや二つではなく、無数の船室から同時に聞こえてくるという。
これらの現象を目撃した者は、その異常な状況に恐怖を感じ、すぐにその場を立ち去ることが多い。
骸骨が歩く幽霊の目撃情報
氷川丸では、骸骨の姿をした幽霊が船内を歩いているのが目撃されている。
彼らは無言のまま船内を徘徊し、その姿を目撃した者は強烈な寒気と共に全身が動けなくなるという。
この骸骨の幽霊は、戦時中に命を落とした兵士たちの霊が、未だにこの船に囚われているのではないかと考えられている。
黒づくめの男たちの幽霊
氷川丸では、黒い服を着た男たちが船内を歩き回るのが目撃されている。
彼らは誰かを探しているかのように船内を徘徊し、その姿を見た者は強烈な恐怖を感じるという。
これらの幽霊の正体は不明であり、戦時中にこの船で起きた何らかの出来事に関わる霊なのではないかと噂されている。
氷川丸の心霊体験談
ある訪問者は、氷川丸のエンジン室を訪れた際、異常な暑さとともに大勢のうめき声を聞いたという。
その場から逃げ出した後もしばらく耳鳴りが続き、悪夢に悩まされたという。
また、別の訪問者は、船内で黒づくめの男たちを目撃し、その後も何度も彼らの姿を見続け、恐怖に耐えられずに見学を途中で切り上げたと語っている。
氷川丸の心霊考察
氷川丸で発生する心霊現象は、戦争中に多くの命が失われたことと深い関係があると考えられる。
特に、病院船としての役割を果たした際に多くの兵士が命を落とし、その魂が未だにこの船に取り憑いている可能性が高い。
これらの霊たちは、未練や苦しみを抱えたまま船内を彷徨い続けており、訪れる者にその存在を知らしめようとしているのかもしれない。
氷川丸を訪れる際は、霊たちの安息を願い、敬意を持って接することが重要である。
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