樋の池公園には、夏の夕暮れにだけ現れる「手だけの幽霊」がいるという噂がある。プールや更衣室、公衆トイレなどで「おいで、おいで」と手招きするその霊を追いかけると、最終的には無数の手に襲われるというのだ。今回は、樋の池 手っちゃん(樋之池公園)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
樋の池 手っちゃん(樋之池公園)とは?
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樋の池手っちゃんが出現すると噂される樋之池公園は、兵庫県西宮市樋之池町に所在する公園である。
当該公園は、かつて釣り堀として利用され、さらに苦楽園口から市営住宅へと続く区間は、山の上の金持ちが乗馬の練習場として利用していたとの歴史的背景を持つ寂寥な場所である。
また、体育館、テニスコート、プール、遊具広場などの施設が整備され、家族連れにも親しまれている一方、その歴史の奥底に潜む不気味な噂が、今なお地域住民の間で語り継がれているのである。
樋の池 手っちゃん(樋之池公園)の心霊現象
樋の池 手っちゃんの心霊現象は、
- 夏の夕暮れ時にのみ、ひっそりと現れる子供の「手」だけの幽霊が確認される
- プールで泳いでいる最中、更衣室付近から小さな子供の手が『おいで、おいで』と手招きする
- 手の誘いに従い足を進めると、プールの出口付近からも同様の呼びかけが聞こえる
- 出口を出た直後、右側の木陰から再び『おいで、おいで』という声が響く
- 樋の池前の公衆トイレからは、突如として手が現れ『オイデ、オイデ』と囁く
- トイレ内部に足を踏み入れると、個室の扉が一斉に開き、無数の子供の手が襲いかかってくる
である。また、昔、夏休みのある日、樋の池プールへ向かう途中に交通事故で命を落とした子供の「手」だけが行方不明となったという恐るべき噂も存在するのである。
以下、これらの怪異について記述する。
夏の夕暮れ時、薄明かりの中に浮かび上がるその「手」は、まるで生き物のようにひっそりと存在感を示す。
まず、プールでのひととき中、更衣室付近から突如現れる小さな子供の手は、『おいで、おいで』という低く囁く声とともに、見る者の心に不安を植え付ける。
次に、誘いに従い歩みを進めると、プール出口付近からも同様の呼びかけが聞こえ、出口を抜けた先では右側の木陰からも再び同じ声が響くため、逃れようのない不吉な連鎖を感じさせるのである。
さらに、樋の池の前に位置する公衆トイレでは、扉の隙間から覗く手が『オイデ、オイデ』と囁く。
中に入ると、個室のドアが一斉に開き、無数の子供の手が襲来するという目撃情報が後を絶たない。
この現象は、まるで現実と幻の境界が曖昧になるかのような恐怖をもたらし、現場に足を踏み入れた者は、深い不安と絶望に苛まれるのである。
また、かつて夏休みに樋の池プールへ向かう最中、交通事故で命を落とした子供の手のみが行方不明となったとの噂は、これらの現象に一層の不気味さを与えている。
亡くなった子供の未練が、手という形で現世に留まっているのではないかという憶測が、今なお根強く語られているのである。
樋の池 手っちゃん(樋之池公園)の心霊体験談
ある夜、夏の夕暮れ時に樋之池公園近辺を散策していた一人の男性が、ふと更衣室付近から『おいで、おいで』という低い声を耳にしたと証言する。
その瞬間、男性は足がすくむような恐怖を覚え、無意識のうちにその方向へと歩を進めた。
しかし、近づくにつれて視界に入るのは、薄暗い木陰にぼんやりと浮かぶ小さな手のシルエットのみであった。
振り返ろうとしたその時、背後からも同じ声が追いかけるように響き、男性は慌ててその場を離れたという。
体験者は、今もなおその不気味な声と、手だけの幽霊の姿が脳裏に焼き付いて離れないと語るのである。
樋の池 手っちゃん(樋之池公園)の心霊考察
これらの現象は、単なる作り話やいたずら心によるものではなく、深い悲劇と未練が結実した結果である可能性が高いと考えられる。
地元の老人たちの証言によれば、かつて樋之池は釣り堀として利用され、また野原や乗馬の練習場といった歴史的背景を持つことから、常に寂れた雰囲気が漂っていたことが明らかである。
加えて、当時から子供の行方不明事件が相次いで報告されており、もしかすると、埋められた子供の死体の存在が、この地に未だ成仏できない霊を呼び寄せているのではないかという憶測がある。
さらに、交通事故により命を落とした子供の「手」が行方不明となったという事実は、亡くなった子供の魂が完全に解放されず、痛みや悲しみを抱えたまま彷徨っている証左であると考えられる。
これらの事実が重なり合い、夏の夕暮れという一瞬の闇の中で、樋の池 手っちゃんの怪異が現れるとすれば、単なる偶然ではなく、何か避けがたい運命がこの地に刻まれているのではないかと推察せざるを得ないのである。
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