広島市中区に残る被爆建物「広島大学旧理学部1号館」には、原爆で命を落とした人々の無念が未だに色濃く刻まれているという。今回は、広島大学旧理学部1号館にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
広島大学旧理学部1号館とは?

広島大学旧理学部1号館は、広島市中区の東千田公園内にひっそりと佇む旧広島大学の施設である。
1931(昭和6)年に旧制広島文理科大学本館として竣工し、鉄筋コンクリート造3階建の堅牢な建物であった。
しかし1945(昭和20)年8月6日、広島に原子爆弾が投下されると、その猛威を受けて1階のわずか3部屋を残して全焼、多くの教員や学生が建物内で被爆し、134名が無念の死を遂げた。
奇跡的に倒壊は免れ、その後も理学部として使用され続けたが、1991(平成3)年に東広島への移転とともに廃墟となった。
現在は老朽化が進み、内部立ち入りは禁止。耐震調査では「震度6で倒壊または崩壊の恐れがある」と診断されており、外壁にはタイル落下防止のネットが掛けられ、今やその姿は痛々しいまでに荒廃している。
広島大学旧理学部1号館の心霊現象
広島大学旧理学部1号館の心霊現象は、
- 建物内に少年の霊が現れる
- 夜間、兵隊が行進するかのような足音が響き渡る
- 原爆で犠牲になった人々の霊が今も校内を彷徨っているという噂
- 絶対に通ってはいけない廊下が存在すると囁かれている
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、少年の霊についてである。夜遅く、建物の窓を見上げると、そこに制服姿の少年が立ってこちらをじっと見下ろしていたという報告がある。
誰もいないはずの廃墟の中で、無言で佇むその姿は、この世のものとは思えぬほど冷たい気配を放っていたと語られる。
次に、兵隊の足音である。廊下の奥から規則正しく響く足音は、やがて行進する軍靴の音へと変わり、その場に立ち尽くしていると自分のすぐ背後まで迫ってくる。
振り返っても誰もいない。ただ、重い軍靴の音だけが、耳に焼き付くという。
また、校内には今もなお原爆で命を落とした学生や教員の霊が彷徨っていると噂される。
原爆投下の瞬間を知らぬまま、その日常を繰り返し続けているかのように、廊下を歩く影が見えた、講義室から声がした、という証言は後を絶たない。
さらに、この建物には「絶対に通ってはいけない廊下」があるとも囁かれている。
そこを通った者は、帰り道に不可解な事故に遭う、数日後に高熱にうなされ原因不明の病で倒れるなど、不気味な後日談が多く残されている。
広島大学旧理学部1号館の心霊体験談
ある大学OBの話によれば、夜の散歩がてら旧理学部1号館の周囲を歩いていたとき、突然背筋をなぞられるような感触に襲われたという。
慌てて振り向くも誰もいない。
しかし次の瞬間、耳元で小さくすすり泣く声が聞こえ、恐怖のあまり一目散にその場を離れたそうである。
別の話では、夜中にこの建物を訪れたグループが、階段の踊り場に少年が立っているのを目撃した。
声をかけると少年はゆっくりと振り返ったが、その顔はぼんやりと霞んでおり、誰もはっきりと特徴を思い出せなかったという。
数日後、その中の一人が高熱を出し、うわごとのように「まだあそこにいる…」と繰り返し呟いていたとも伝わる。
広島大学旧理学部1号館の心霊考察
広島大学旧理学部1号館は、原爆投下により多くの命が無念の形で失われた悲劇の場所である。
その強い無念や苦悶の念は、建物に深く刻まれ、今もなおそこに留まり続けているのではないだろうか。
軍靴の行進音は、戦争の悲惨さを後世に伝えるための警鐘のようにも思える。
また少年の霊が現れるのは、突然未来を奪われた若き命が、死を理解できぬままこの地に囚われているからなのかもしれない。
立ち入り禁止の建物でありながらも、周囲を歩くだけで重苦しい気配が付き纏うのは、目に見えないものたちが今も静かにその場所を守り、そして彷徨い続けている証左なのであろう。
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