大分県大分市にある仏崎公園(仏崎遊園地)は、かつて別府湾を望む景勝地として賑わった場所である。しかし昭和36年、集中豪雨による崖崩れで電車が土砂に飲まれ、31名が命を落とす大惨事が発生。それ以降、不可解な事故や怪異のウワサが絶えず囁かれている。今回は、仏崎公園(仏崎遊園地)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
仏崎公園(仏崎遊園地)とは?
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仏崎公園(ほとけざきこうえん)は、大分県大分市田ノ浦に位置する小さな岬にあった公園である。
別府湾を一望できるその立地は、大正時代に別府温泉周辺の三大景勝地「別府三勝」の一つとして選ばれ、かつては多くの観光客や遠足の子どもたちで賑わっていたという。
園内には「鶴ノ松」と呼ばれる巨大な松の木や桜並木があり、戦前はとりわけ人々に愛されていたが、戦後の道路拡張に伴い荒廃。
象徴であった鶴ノ松も伐採され、次第に人々の記憶からも薄れていった。
だが、仏崎の名が再び世間を騒がせたのは1961年(昭和36年)、集中豪雨による大規模な崖崩れが発生し、大分交通別大線の電車が土砂に巻き込まれて埋没。
乗客31名が死亡し、重軽傷者は36名に及ぶという、凄惨極まる事故がこの地で起こったためである。
今もなお、事故の記憶は現地に残された慰霊碑や地蔵尊に刻まれている。
仏崎公園(仏崎遊園地)の心霊現象
仏崎公園(仏崎遊園地)の心霊現象は、
- 夜間、崖の下から突然人影が飛び出してくる
- 雨の日、崖に無数の手が張り付いている
- 不自然な交通事故が繰り返し発生している
- 地蔵の手が上から下に垂れ下がっている
- 死者の人数と一致する霊団の目撃例がある
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず最も多く報告されているのが「人影」の目撃である。
夜中に車で走行中、突然崖の下から人影が飛び出してきたという証言が複数存在する。
だが、現場をよく見てもその“人”は存在しない。
確認しても何もいない。
まるで“何か”が車に飛び込もうとしたかのように、忽然と消えるというのだ。
また、雨天時に現れるという“崖の手”。
事故現場の崖をよく見ると、濡れた岩肌に幾つもの“人間の手形”が浮かび上がってくるという。
這い上がろうとしたのか、助けを求めていたのか……見る者の心を凍らせる異様な光景である。
さらに、この地点では現在も交通事故が頻発している。
道路には防護ネットが張られているにもかかわらず、突発的なハンドル操作ミスや不自然な事故が相次ぐ。
その原因は不明とされているが、周辺住民の間では「見えない誰かが引き寄せている」と囁かれている。
そして、この地に安置された地蔵尊──通称「手招き地蔵」も不可解な存在である。
本来上を向いていたその手は、いつしか下へと垂れ下がり、“通る者を呼び寄せるような姿”に変化したとされている。
地元では「幽霊地蔵」とも呼ばれ、事故の犠牲者たちの魂を慰めているのか、あるいは……。
仏崎公園(仏崎遊園地)の心霊体験談
実際に仏崎公園周辺を通った人物の証言は生々しい。
ある日、大分から別府へ向かう途中、30人ほどの僧侶が一心に祈りを捧げている姿を目撃した。
帰り道──時刻は18時──には当然彼らの姿はなかった。
だが、少し先へ進んだ場所で、再び30人ほどの人影を目撃する。
その周囲には2人の子どもが歩いていたが、周囲だけが薄暗く、異様な空気に包まれていたという。
妙な胸騒ぎを覚え調べてみると──あの事故で命を落とした人数は“31人”であったと判明。
あまりに一致した数、そして“見てはいけないもの”を見てしまったという恐怖が、目撃者の記憶に深く焼き付けられている。
仏崎公園(仏崎遊園地)の心霊考察
仏崎公園の心霊現象は、1961年に発生した大量死という“土台”の上に形作られている。
突如命を絶たれた乗客たちは、その無念を晴らす術もなく、今も崖の下で時を止めたまま彷徨っているのかもしれない。
人影、手形、事故の多発──いずれも“この世”の存在では説明がつかない。
祀られた地蔵の変化もまた、何かを伝えようとしているように思えてならない。
仏崎は、ただの公園跡地などではない。かつて歓声が響いたその場所には、悲しみと怨念が深く沈殿している。
訪れる者は、軽い気持ちでは近づかぬ方がよいだろう。
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