石鎚神社には、古くから「神の山」として崇められてきた一方で、夜になると得体の知れない気配が漂うと囁かれている。今回は、石鎚神社にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
石鎚神社とは?

石鎚神社は、愛媛県西条市西田甲797に鎮座し、主祭神は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)である。
イザナギ・イザナミの第二子とされ、古来より「日本七霊山」のひとつとして信仰を集めてきた霊峰・石鎚山の神を祀る。
境内は四つの社から成り、山頂(標高1982m)に建つ「奥宮 頂上社」は特に強力な霊験をもつといわれる。
山そのものがご神体であり、古くから修験道の行場としても知られている。
石鎚神社は、登拝そのものが祈りであり、登り切った者は「すでに願いが叶った」とされるほどの霊威を誇る。
しかし同時に、山を軽い気持ちで訪れる者には、強い“拒絶”が起こるとも言われている。
石鎚神社の心霊現象
石鎚神社の心霊現象は、
- 荒れた祠の周囲で夜中に不気味な気配を感じる
- 祠の扉がいつの間にか開いており、鍵が動いている
- 安和海岸の道沿いで黒い影が横切る
- 拝殿跡で人の気配や声がする
- 神社を訪れた後に身体の不調が起きる
である。以下、これらの怪異について記述する。
神社の境内には、かつて拝殿があったとされるコンクリートの台座が残っており、その上に石製の祠が建っている。
祠の扉は現在、開け放たれており、横には古びた鍵が置かれている。
元はしっかり閉じられていたものと思われるが、今は風雨に晒され、扉の金具が赤く錆びついている。
左の扉には「昭和九年十月吉日」と彫られており、当時の信仰の厚さを物語っている。
一升瓶や酒の供え物が散乱していることから、かつては月次祭や直会などの祭礼が行われていたようである。
しかし、現在の祠は荒廃が進み、夜に訪れると背後から視線を感じるという人も多い。
灯りが届かない森の中で、ふと風が吹くと祠の扉が微かに軋む音がする。その音を「誰かが中から叩いているように聞こえた」と語る者もいる。
また、近くの安和海岸沿いでは「黒い影が道を横切る」「対向車のライトに一瞬だけ人影が映る」といった報告もある。
その影は、ふと見ると人の形をしているが、よく見る前にスッと消える。何かを訴えるようでもあり、ただ通り過ぎるだけのようでもあるという。
石鎚神社の心霊体験談
ある男性は、愛媛県を自転車で旅していた際、石鎚神社に立ち寄ったという。
山中で夜を迎え、神社近くで休もうとしたとき、突如「ギャーーーッ!」という悲鳴が闇を裂いた。
慌てて振り返ると、男女二人がこちらに背を向け、全速力で逃げていく。
周囲を見渡しても他には誰もいない。
どうやらその二人は、暗闇の中で汗にまみれた彼の姿を“幽霊”と勘違いしたようであった。
本人はその出来事を笑い話として語っているが、考えてみれば、そうやって“人を幽霊と見間違える”という現象もまた、石鎚山が持つ異界の力の一端かもしれない。
人の気配が濃いのに、実際には誰もいない。
そんな“境界”のような感覚が、この山には確かに存在するのである。
また、別の参拝者の証言によると、神社を訪れたあと「心臓の痛み」や「胸の圧迫感」を覚えたという。
霊感の強い人物から「顔が異常に大きい女の霊が、心臓を爪で刺している」と指摘されたこともある。
本人はその後、お祓いのために再び石鎚神社を訪れたところ、境内で「ドンドドッ」と太鼓の音が響き、体が軽くなった感覚があったという。
ただ、その時、神社へ向かう道中で地震が発生した。
偶然とも言えるが、「呼ばれた」と語る人もいる。
それ以降、彼は石鎚神社のお札を家に祀り、今も時折、胸の奥に痛みを感じながらも不思議な“つながり”を意識しているという。
石鎚神社の心霊考察
石鎚神社に関する現象は、いずれも「境界の揺らぎ」に関係しているように思われる。
祠の開いた扉、散乱する供物、夜の黒い影――それらは、かつて盛んに行われていた信仰の名残であり、人と神、現世と霊界の境を象徴しているのかもしれない。
この神社は、ただの“パワースポット”ではなく、強い霊力をもつ地そのものである。
参拝者の心の状態を映し出す鏡のような場所であり、清らかな心で訪れれば浄化されるが、曇った心で踏み入ると、その闇が形をもって現れるのだろう。
石鎚神社は、願いを叶える場所であると同時に、己の“内なる影”と向き合う場所でもある。
だからこそ、人はこの地で得体の知れない気配を感じ、そして時にそれを“幽霊”と呼ぶのかもしれない。
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