かつての城跡に建てられた学校には、今もなお消えぬ過去の記憶が息づいている。今回は、佐賀県鹿島市にある「北鹿島小学校(常広城)」にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
北鹿島小学校(常広城)とは?
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北鹿島小学校は、佐賀県鹿島市に位置する公立小学校である。
しかし、その敷地がかつての「常広城」の本丸跡に重なるという事実を知る者は少ない。
常広城は、天正年間に龍造寺隆信によって制圧された有馬氏の城であり、江戸時代以降は鹿島藩の藩庁として利用されていた。
築城は承応元年(1652年)とされているが、より古い時代にも砦のような役割を担っていたとされる。
この城の最大の特徴は、周囲を二重の堀と土手で囲まれた堅牢な造りでありながら、有明海の影響で頻繁に水害に見舞われたという点にある。
そして、なによりも恐ろしいのは、この城内に「処刑場」が存在していたという口伝である。
北鹿島小学校(常広城)の心霊現象
北鹿島小学校(常広城)の心霊現象は、
- 処刑された罪人の霊が彷徨っている
- 赤門を通るときに「入ります」と言わないと祟られる
- 男性の霊が目撃される
- 水害の被害者とされる霊が現れる
である。以下、これらの怪異について記述する。
処刑された罪人の霊が彷徨っている
かつて城内に存在したとされる処刑場では、多くの罪人が首をはねられ、その血で土が赤く染まったと言われている。
その怨念は今も消えることなく、学校の廊下や教室の隅に人影のような黒い影として現れるのだという。
「誰もいないはずの放課後の教室に、逆光のように立つ人影を見た」という声もある。
その姿は決まって首元が不自然に傾いており、呻くような声が聞こえることもあるそうだ。
赤門を通るときに「入ります」と言わないと祟られる
常広城には「赤門」と呼ばれる門が今も残されている。
地元では、この門をくぐる際には必ず「入ります」と一礼しなければならないという言い伝えがある。
これを知らずにくぐった者は、しばしば頭痛や高熱、さらには悪夢に悩まされるという。
中には、「赤門の近くで耳元に誰かが囁いた」と証言する者も存在する。
男性の霊が目撃される
校庭やトイレ付近に現れる男性の霊は、和服姿で顔をはっきりと見ることができない。
特に夜に近づくと、窓の外に誰かが立っているのを見たという報告が複数ある。
「外には誰もいないのに、教室のガラスに男の顔が映っていた」という目撃談があり、それは深夜の見回り中の教職員によるものだという。
水害の被害者とされる霊が現れる
この地域はかつて有明海に近く、洪水や高潮の被害に悩まされていたという。
記録によれば、たび重なる水害で命を落とした住民も多く、彼らの霊が未だに成仏できずにさまよっているとされている。
校舎裏の古い排水溝付近で、ずぶ濡れの足跡だけが残されていたという不可解な出来事も報告されている。
北鹿島小学校(常広城)の心霊体験談
かつて北鹿島小学校に通っていたという人物から、次のような証言がある。
「小学一年生の頃、友達の間で“ここは昔、処刑所だったらしい”というウワサが広まっていた。ある日、放課後にトイレに行った帰り、誰もいないはずの廊下で、誰かが自分の名前を呼んだ。振り返っても誰もいなかったが、背後から視線のようなものを感じて怖くて走って逃げた」
この体験者はそれ以降、赤門を通る際には必ず「入ります」とつぶやいていたという。
北鹿島小学校(常広城)の心霊考察
これらの現象の背景には、城内に存在した処刑場、そして度重なる水害による無数の死者の存在が深く関係していると考えられる。
処刑された者たちは無念の思いを抱いたまま命を絶たれ、霊としてその地に留まり続けているのかもしれない。
そして、水害で亡くなった者たちもまた、突然の死に心残りを抱えたまま、現世を彷徨っている可能性がある。
さらに、「赤門をくぐる際に“入ります”と言わねばならない」という奇妙な風習も、土地に宿る“何か”に対する無意識の畏れを物語っている。
北鹿島小学校における心霊現象の多くは、歴史と結びついた“記憶の呪縛”である。
表面上は静かな学び舎であっても、その地には今もなお、消えることのない怨念が息を潜めているのである。
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