『寿駅』は富士吉田市にある駅で、その名前には興味深い由来があるという。また、昭和46年(1971年)に起きた悲惨な事故が元となり心霊スポットとして知られるようになったという。今回は、寿駅のウワサの心霊話を紹介する。
寿駅とは?
昭和41(929年)6月19日、富士山麓電気鉄道の大月駅から富士吉田駅までの区間が開通し、暮地駅が開業した。
しかし、後に昭和56(1981年)にその名前は寿駅に改められた。
この駅名の由来には興味深い経緯がある。
実は、この地域が富士吉田市に編入される際に新設された自治体が『寿町』であり、暮地駅が改名されたのはその後のこと。
『暮地』という名前の由来は、この地が西側に高山が連なり、日が早く暮れることにちなんでいるらしい。
寿駅の近くには、日蓮が宿泊したと伝わる御越山遠妙院(呉地の宿跡)がある。
日蓮はこの地で病状が悪化し、入滅されたという。
富士吉田線の惨事: 暮地(寿)駅での衝突事故
昭和46(1971年)3月4日の朝、月江寺駅付近の踏切で列車と小型トラックの衝突事故が発生。
列車はブレーキが壊れて暴走し、暮地(寿)駅から約300m先の大カーブで脱線。
乗客約120名のうち、70名程が重軽傷を負い、17名が亡くなるという悲劇が起きた。
現在、その場所には慰霊碑が建てられ、一般の立ち入りはできない。
事故以後暮地駅だと縁起悪いから寿駅にするセンスは好き
— か え る (@kaerusan_garnet) July 11, 2021
寿駅の心霊現象
寿駅の心霊現象は、
- 最終列車に事故で亡くなった者の霊が乗っている
である。大月行き最終列車の事故で多くの者が亡くなったため、縁起が悪いという理由で駅名が変わったらしい。
事故が発生して以降、最終列車には事故で亡くなった者の霊が乗っているというウワサがある。
寿駅の最終列車
夜の寿駅、暗闇に包まれたホームにただ一人立つ者がいた。
それは、新人の鉄道員、Dさんだった。彼は新人らしい緊張感と興奮が入り混じった気持ちで、列車の到着を待っていた。
ふと、Dさんは隣の駅員から聞いた話を思い出した。寿駅には心霊現象があるというウワサだった。
最終列車には、かつての事故で亡くなった者たちの霊が乗っているというのだ。
列車の到着時間が迫る中、Dさんは不安を感じつつも、その話を信じてはいなかった。
しかし、何かが起こるのではないかという予感が彼を捉えていた。
やがて、遠くから列車の音が聞こえてきた。Dさんは胸を張って、乗客たちを迎える準備をした。
列車が到着し、ドアが開くと、人々が列車から降りてきた。
その中には、ぼんやりと白く光る人影がいた。Dさんは驚きと恐怖を感じながらも、それを見過ごすことはできなかった。
人影はDさんの前に立ち、ゆっくりと頭を下げた。Dさんは口ごもるように尋ねた。「あなたは…?」
その人影は静かに答えた。「私たちは、この列車で亡くなった者たちです。安全運転を心がけてください。」
そして、その霊たちは再び列車に戻り、ゆっくりと消えていった。
Dさんは言葉を失ったまま、列車が去るのを見送った。彼は今、寿駅の心霊現象の真実を目の当たりにしたのだ。
それ以降、Dさんはその話を他の鉄道員たちに語った。
そして、最終列車に乗る度に、亡くなった者たちの霊が安全を願っているのだと感じるようになった。
寿駅の場所・アクセス・地図
寿駅の住所 | 日本、〒403-0001 山梨県富士吉田市上暮地 |
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交通アクセス | 山梨市から中央自動車道/西宮線 と 中央自動車道/富士吉田線/河口湖線 経由で45分 |
最寄りのバス停 | 寿駅前(徒歩1分)国道139号 経由 |
最寄り駅 | 寿駅(徒歩0分) |
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