長崎市にある光源寺は、古くから「産女の幽霊」にまつわる不思議な伝説が語り継がれてきた場所である。この寺院には幽霊像や掛け軸が奉納され、毎年8月16日に公開されることで、多くの参拝者や観光客が訪れる。今回は、光源寺にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
光源寺とは?
光源寺は長崎市伊良林にある浄土真宗本願寺派の寺院であり、寛永8年(1631年)に松吟(しょうぎん)という僧侶によって創建された。
その後、江戸時代の火災を機に現在の場所に移転し、約400年の歴史を誇る寺院として知られている。
この寺院は、地元に深く根付いた歴史と文化を持つだけでなく、「産女の幽霊」の伝説の発祥地としても有名である。
特に、幽霊像や掛け軸の公開日には、全国から多くの人々が訪れる。
さらに、近隣には「幽霊井戸」と呼ばれる井戸があり、この伝説と深い関わりを持っている。
光源寺はまた、江戸時代に長崎で最初の唐通事(中国との貿易通訳)を務めた馮六(ひょうろく)の墓があることでも知られる。
光源寺の心霊現象
光源寺で語られる心霊現象や伝説は以下の通りである。
- 毎年8月16日に公開される「産女の幽霊像」と「幽霊を描いた掛け軸」
- 夜中に飴を買いに現れる幽霊の話
- 光源寺裏手の「幽霊井戸」の噂
- 幽霊像が放つ不気味な光
毎年8月16日に公開される幽霊像と掛け軸
光源寺では、毎年8月16日に「産女の幽霊像」と「幽霊を描いた掛け軸」が公開される。
この幽霊像は1748年に制作されたもので、高さ約40センチ、腰から下は作られていない。目にはガラスがはめ込まれており、光の加減でギラリと光るという。
公開時には白い着物をまとい、袋状に仕立てられた装いで展示される。
飴を買いに現れる幽霊
「飴屋の幽霊」とも呼ばれる産女の伝説が語られる。
夜になると飴屋に現れる女性が、一文銭で飴を買い続け、最後にはお金がないと飴を恵んでほしいと頼む。
飴屋の主人が後をつけると、女性は光源寺の墓地で姿を消し、翌朝掘り返された墓の中から女性の遺体と赤ん坊が発見された。
女性は墓に入れられた六文銭で赤ん坊のために飴を買い続けていたのだ。
光源寺裏手の「幽霊井戸」
この井戸は、産女が飴屋の主人への恩返しとして掘られたとされる。
女性が飴屋に「翌朝、櫛が落ちている場所を掘ってほしい」と伝え、そこから湧き出た水で町民が救われた。
現在も井戸は存在し、地域の歴史を象徴している。
幽霊像が放つ不気味な光
幽霊像の目に嵌められたガラスは光を反射し、不気味な輝きを放つ。
特に夜間や公開時には、その光が「幽霊の霊気」として噂され、多くの訪問者に恐怖と好奇心を与えている。
光源寺の心霊体験談
体験談1:幽霊像を見た後の奇妙な感覚
ある訪問者が幽霊像を見た後、数日間肩の重みと疲労感が取れなかったと語った。
その訪問者は心霊現象を信じていなかったが、光源寺を訪れてから考えが変わったという。
体験談2:井戸の近くでの異様な気配
幽霊井戸を見学した際、突如として背後から誰かに見られているような感覚を覚えたという。
この感覚は井戸を離れるまで続き、写真を撮影しても不気味な白い影が写り込んでいた。
体験談3:飴屋の幽霊の夢
ある人が光源寺を訪れた夜に、夢の中で飴を持った女性と赤ん坊が現れ、「ありがとう」と呟かれた。
その後、その人の身近に良い出来事が立て続けに起きたという。
光源寺の心霊考察
光源寺の心霊現象は、母親の深い愛情や執念が霊的な形で現れていると考えられる。
「産女の幽霊」の伝説は単なる恐怖話ではなく、母の愛や命の尊さを物語っている。
また、幽霊井戸や幽霊像の存在は、光源寺が地元の文化や歴史に密接に結びついていることを象徴している。
心霊現象に興味を持つ人々にとって、光源寺は特別なスポットであり、訪問者には伝説の奥深さと平和の大切さを再認識する機会を与えている。
光源寺はただの心霊スポットではなく、地域の歴史や文化、そして人々の感情が交錯する特別な場所である。
訪れる際には敬意を払い、この場所が伝える教訓に耳を傾けるべきだ。
毎年8月16日の幽霊像公開時には、特に多くの人々が集まり、過去の物語に触れる機会となる。
訪問を考えている人は、その歴史の重みと心霊話の不思議さに備え、ぜひ足を運んでみてほしい。
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