かつて城が築かれ、戦中には空襲の被害も受けた大分県国東市。この地に建つ現役の国東小学校には、今も語り継がれる不気味な心霊のウワサが存在する。少女の霊、動く二宮像、誰もいない教室からの声――。今回は、国東小学校にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
国東小学校とは?

国東小学校は、大分県国東市に位置する現役の小学校である。
令和の時代に入り、小原小学校と旭日小学校が児童数の減少により閉校し、統合されて現在の形となった。
202人の児童が在籍し、地域とともに歩む教育が行われている。
新しい制服に身を包んだ児童たちが、元気に校歌を歌い、新しい学校生活を送っている様子が報じられたばかりである。
しかし、この明るい表面の裏側に、語り継がれる数々の心霊のウワサが存在していることは、あまり知られていない。
国東小学校の心霊現象
国東小学校の心霊現象は、
- 校舎内に少女の霊が現れる
- 誰もいないのに声が聞こえる
- 髪の長い人影、子供、落ち武者などが目撃される
- 校庭の二宮像が、翌日には別の方向を向いている
- 夜になると二宮像が追いかけてくるというウワサ
- 国東中学校の旧体育館跡では女学生の霊が出る
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、少女の霊についてである。
旧校舎の廊下や階段に、髪の長い白いワンピース姿の少女が立っているのを見たという証言が複数存在する。
話によれば、その少女は決して表情を変えず、じっとこちらを見つめてくるという。
特に夜、教師や清掃業者が人気のない校舎に入った際、ふと後ろに気配を感じて振り返ると、その少女が立っているとのことだ。
また、誰もいないはずの教室から、笑い声やすすり泣きのような音が聞こえるという報告が絶えない。
録音しても音は残らず、音の出所をたどっても誰もいない。
特定の時間、特定の教室に集中して起こる現象ではなく、校舎全体に漂う“何か”が原因とも言われている。
人影の目撃例も多様である。
髪の長い女性、無表情の子供、さらには甲冑をまとった落ち武者のような姿まで報告されている。
これらは日常的な登校時間帯ではなく、夕方から夜にかけて頻発するという。
最も奇妙なのが、校庭に立つ二宮尊徳像の不可解な現象である。
前日と違う方向を向いているという報告があり、中には「夜中に校庭を歩いていたら、像がこちらに向かってきた」と証言する者もいる。
これがウワサであるにせよ、実際に見た者の証言には恐怖がにじんでいる。
また、旧国東中学校の校舎跡地にも異変があるという。
そこにはかつて体育館があったが、空襲の際に大きな被害を受け、女学生が命を落としたと伝わっている。
その霊が今も現れると、地域の元教員や住民が語っている。
国東小学校の心霊体験談
国東小学校やその周辺で育った人々の中には、これらの現象を実際に体験したという者もいる。
ある地域住民の証言によれば、夜の学校前を通ると、誰もいないはずの窓際に白い人影が立っていたという。
「目をそらした一瞬で消えていたが、確かに目が合った」と語る。
また、元国東中学校の教員だった人物の話では、旧体育館跡に夜立ち入った際、確かに誰かの足音が自分の周囲をぐるりと歩き回ったという。
懐中電灯を向けても何も見えず、ただ空気だけが異様に重たかったと述べている。
国東小学校の心霊考察
国東小学校にまつわる心霊現象の多くは、過去の歴史と強く結びついている可能性がある。
この地にはかつて「豊後飯塚城」が築かれていたという。
戦国時代の血なまぐさい歴史が、この土地に残留思念のような影響を与えているのではないだろうか。
また、戦中の空襲により命を落とした女学生の無念が、国東中学校の旧体育館跡に留まっている可能性もある。
成仏できぬまま、かつて学び舎であったその地に留まり続けているのかもしれない。
さらに、統合により児童数が増えた現在、校舎の中に新たな「気」が流れ込んでいるとも考えられる。
子どもたちの活気が“眠っていた存在”を目覚めさせたのではという説もある。
見える者には見えるという「長髪の影」「落ち武者の姿」、そして“動く二宮像”のウワサ。
これらが偶然で説明できるものとは思えない。
国東小学校という場所自体が、過去と現在の狭間にある“霊的な接点”となっているのではないかと考えざるを得ない。
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