岡山県倉敷市を走る県道47号線の「幽霊カーブ」では、不可解な事故や霊の目撃が相次いでいる。かつてこの地に存在した「病人小屋」の怨念が、今もなお人々を恐怖に陥れているという。今回は、倉敷の幽霊カーブにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
倉敷の幽霊カーブとは?

岡山県倉敷市の最西南端、海と丘陵が接する黒崎地区。
その沿岸部を縫うように走る県道47号線には、地元の人々が「幽霊カーブ」と呼ぶ場所が存在する。
沙美海岸にもほど近いその地点は、道路が不自然なまでに陸側へ鋭く折れ曲がり、見通しが悪いことで知られている。
表向きには、カーブの急さやスピードの出しすぎによる事故が多発しているとされる。
しかし、地元住民の間では、そこには「何か」が棲みついており、人の命を引きずり込んでいるという話が囁かれている。
この地は、かつて「病人小屋」が建っていた土地でもある。
戦前、感染症に罹患した者たちはこの小屋に隔離され、治療も受けられず、ただ飢えと病の苦しみに耐えながら最期を迎えたという。
彼らの怨念は、このカーブの土地に今もなお焼き付いているのかもしれない。
倉敷の幽霊カーブの心霊現象
倉敷の幽霊カーブの心霊現象は、
- やせ細った老婆の霊が、バイクの後部座席に現れる
- 子供を抱えた女性の霊が、道端に立っている
- 小学生ほどの少年の霊が、カーブの先に佇んでいる
- 乗り物のスピードが突然落ちる、謎の力
である。以下、これらの怪異について記述する。
とある深夜、若い男性がスクーターで幽霊カーブを走行していた。
カーブに差し掛かった瞬間、エンジンの音が不自然にくぐもり、バイクのスピードが急激に落ちた。
背後に重みを感じ、嫌な予感と共に肩越しに目を向けたその刹那――。
バイクの後部には、顔中が深い皺で覆われ、目だけが異様に濁った老婆が無言で座っていたという。
老婆の骨ばった手は、青年の右肩に添えられており、その指先から氷のような冷たさが伝わってきたという。
青年は恐怖でバランスを崩し、転倒。そのままスクーターを放置し、逃げるように走って帰宅した。
家の玄関で兄に出迎えられた瞬間、兄は顔を強張らせてこう叫んだ。
「お前、後ろのばあさん、誰だ……?」
また、別の目撃談では、道端に子供を抱いた女性がぼんやりと立っていた。
通行人が声をかけようとした瞬間、彼女の姿は霧のように溶けて消えたという。
さらには、カーブの先にぽつんと立つ、小学生ほどの少年の霊も度々目撃されている。
彼は通行人の目をじっと見つめてくるが、近づくと忽然と姿を消す。
これらの霊たちは、何かに取り憑かれたように通る車両に干渉し、事故へと導く。
そのたびに、命がひとつ、海へ吸い込まれていく。
倉敷の幽霊カーブの心霊体験談
以下は、実際にこのカーブで体験した人物の証言である。
《Aさんの体験談》
深夜2時過ぎ、友人宅からの帰り道、幽霊カーブをバイクで走行中のことだった。
突然、背中に誰かの体温のような気配を感じた。
ハンドルに集中しようとするも、スピードが急に落ちる。
肩に違和感を覚え、恐る恐る視線を向けたその先に――手。
しわしわの、枯れ木のような手が、自分の肩にそっと乗せられていた。
後部には、やせこけた老婆が無言で乗っていた。
驚きでハンドルを誤り、バイクごと倒れ込む。
起き上がるとバイクを捨て、無我夢中で自宅へと走った。
だが、安心したのも束の間、玄関で兄が目を丸くして言った。
「……おまえ、後ろのばあさん、誰だったんだ?」
その言葉に、膝から力が抜けたという。
倉敷の幽霊カーブの心霊考察
なぜ、この場所では霊が現れるのか。地元に残る言い伝えによれば、幽霊カーブのすぐ下の土地には「病人小屋」が存在していた。
そこは、感染症患者を見捨てるための隔離施設だった。
助けを呼ぶ声も届かず、食料も与えられず、ただ死を待つだけの場所。無念と怨念が凝縮された土地である。
老婆の霊は、もしかすると飢えと孤独に死んでいった者のひとりかもしれない。
「誰かの背中にすがりついて、家へ帰りたい」という一念が、今も霊体となって現れているのだろう。
また、子供や母親の霊の目撃も、この小屋に一緒に隔離された親子の霊である可能性がある。
自転車やバイクといった小回りの利く乗り物ばかりが事故に遭うのも、「背に乗れるから」と考えれば辻褄が合う。
彼らは、家に帰れなかったまま、時間に取り残されている。
そして今も、通りかかる者の背中を、自分の「出口」として待ち続けているのである。
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