北九州市の外れにひっそりと存在する七ツ石峠と七ツ石。南北朝時代の戦いに由来するこの地には、七人の武将の亡霊が今も夜な夜な現れるという恐ろしい伝説が語り継がれている。今回は、七ツ石峠と七ツ石にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
七ツ石峠と七ツ石とは?

七ツ石峠とは、福岡県北九州市の大里地区から猿喰(さるはみ)へと抜ける峠道のことである。
途中、城山霊園を過ぎた先に「七ツ石」と呼ばれる七つの石碑がひっそりと佇んでおり、峠の名の由来にもなっている。
この七ツ石には「七将亡霊伝説」が残されている。
時代は南北朝時代、正平18年(1363年)の冬。北朝方の武将・門司親通が、南朝方である門司親頼の守る猿喰城を攻め落とした。
その際、門司親頼とその家臣ら七人の武士が討ち死にしたという。
それ以降、この峠では夜な夜な馬に乗った七人の武士の霊が現れ、通る者を恐怖で震え上がらせたと伝わる。
高僧が七体の霊を鎮めるために七つの石碑を建て、経を唱えたことで霊の出現は止んだとされている。
しかし、2007年頃、何者かによってその石碑が倒されるという事件が起こり、再び亡霊たちが目を覚ましたのではないかと囁かれている。
七ツ石峠と七ツ石の心霊現象
七ツ石峠と七ツ石の心霊現象は、
- 馬に乗った七人の武将の霊が夜な夜な峠に現れる
- 男性の霊がふいに姿を見せる
- 石碑に近づくと耳元で呻き声が聞こえる
- 石碑の周囲で原因不明の機械の誤作動が起きる
である。以下、これらの怪異について記述する。
最も有名な心霊現象は、夜になると馬に乗った七人の武将が山道に現れ、ただ黙々と馬を進める姿を目撃されるというものである。
騎乗姿のまま通りすぎていくその霊たちは、うつむいたまま表情を見せることはない。
だが、通りがかった人々は、背筋が凍るような気配と殺気を感じるという。
また、日中にも「男性の霊を見た」という報告が後を絶たない。
ふいに現れては何も語らず、ふとした瞬間に消えるその影は、まるで生者の世界に迷い込んだ亡者のようである。
さらに、石碑の近くで耳を澄ませば、「うう…」「くるしい…」といった低いうめき声が聞こえるという証言もある。
周囲に誰もいない状況で聞こえるそれは、かつて討ち死にした武将たちの無念の声なのかもしれない。
不可解な機械の誤作動も報告されており、カメラが突然シャットダウンしたり、録音機器がノイズだらけになるなど、霊的干渉を感じさせる現象が続いている。
七ツ石峠と七ツ石の心霊体験談
ある男性は昼間に七ツ石峠を訪れたが、曇天のせいか昼とは思えないほど薄暗く、不気味な空気に包まれていたという。
朽ちた祠や石碑が立ち並び、まるで時が止まったかのような空間。
彼は何気なくシャッターを切ったが、帰宅して確認すると、そこには誰もいなかったはずの石碑の前に、ぼんやりとした人影が写っていた。
また別の体験者は、石碑に手を触れた瞬間、耳元で「返せ」という低い声を聞いたと語っている。
恐怖でその場を離れたが、その後しばらく悪夢に悩まされたという。
七ツ石峠と七ツ石の心霊考察
七ツ石峠における心霊現象は、南北朝時代という激動の歴史と深く関係している。
七人の武将の霊が峠に現れるのは、非業の死を遂げた彼らが未だ現世に未練を残しているからであろう。
また、2007年の石碑倒壊事件は、霊を封じていた結界が破られたことを意味しているのかもしれない。
封印が解かれたことで、鎮まっていた霊が再びこの世に姿を現すようになったとも考えられる。
霊の存在を確かめようとする者たちが後を絶たないが、それがかえって彼らの眠りを妨げ、より強い怨念を呼び起こしている可能性もある。
七ツ石峠と七ツ石。そこはただの史跡ではなく、今なお「見えない存在」が生き続ける、“踏み入ってはいけない領域”であるのかもしれない。
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