岡藩 鏡処刑場跡のウワサの心霊話

大分県竹田市にある「岡藩 鏡処刑場跡」には、かつて多くのキリシタンや罪人が処刑されたという重い歴史が残されている。その地には今もなお怨念が漂い、男性の霊や祟りといった心霊現象が噂されている。今回は、岡藩 鏡処刑場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


岡藩 鏡処刑場跡とは?

岡藩 鏡処刑場跡の外観

大分県竹田市会々(あいあい)、県道47号線沿いの一角に、ひっそりと三本の石塔が佇んでいる。

現在ではそのうち一本が洪水により破損しているが、この場所こそが、かつて「鏡処刑場」と呼ばれた地である。

江戸時代、この地は岡藩による処刑場として機能していた。

特に三代藩主から八代藩主にかけて、改宗を拒んだキリシタンたちが次々に処刑され、記録によればその数は44名にものぼる。

女や子どもも含まれていたとされ、その残酷さを物語っている。

後年には、キリシタンに限らず一般の罪人もここで処されたという。

2011年には市によって史跡公園として整備され、供養塔が建てられたが、いまだその地に漂う空気は、重く沈んでいる。


岡藩 鏡処刑場跡の心霊現象

岡藩 鏡処刑場跡の心霊現象は、

  • 男性の霊が目撃される
  • 供養塔に触れると祟りが起きる
  • 近づいただけで悪寒や頭痛に襲われる
  • 心霊の噂が絶えない

である。以下、これらの怪異について記述する。

かつてキリスト教徒を「邪宗門」として扱い、信仰を捨てぬ者を次々と処刑していった鏡処刑場。

その土地には、いまも処刑された人々の恨みが刻みつけられている。

訪れた者の中には、供養塔の前で黒い影のような人影を見たという証言が複数存在する。

中でも多いのは、ぼんやりと立つ男性の霊の目撃例である。

顔は判別できず、ただそこに「いる」としか言いようのない存在感を放っていたという。

また、この供養塔に不用意に触れた者が、後日事故や病に見舞われたという報告もある。

中には、原因不明の高熱にうなされ、数日間うわごとのように「ここじゃない、ここにいたくない」と繰り返していたという話もある。

供養塔の周囲に近づくと、夏でもひんやりと冷たい空気に包まれ、身体の芯から寒気が走るとの声も少なくない。

中には、頭痛や吐き気を覚え、足早にその場を離れたという者もいた。

この場所は観光地化された史跡とはいえ、その石塔に刻まれた歴史と怨念は、いまだ生々しく息づいているようだ。


岡藩 鏡処刑場跡の心霊体験談

ある男性が深夜に車で通りがかった際、何気なく供養塔に手を合わせたところ、その晩、自宅で金縛りにあったという。

目を開けると、天井近くにずぶ濡れのような黒い男が浮かび、じっとこちらを見下ろしていた。

翌日、その男性は発熱し、しばらく仕事を休む羽目になった。医者に診ても原因は不明。

数日後、近隣の住民から「あそこは触ったらダメ」と忠告され、初めて鏡処刑場跡の曰くを知ったという。


岡藩 鏡処刑場跡の心霊考察

鏡処刑場跡で報告される心霊現象の多くは、供養塔との関わりによって引き起こされているように見える。

これは単なる偶然や心理的影響では説明しきれない不可解な一致である。

この地で処刑されたキリシタンたちは、自らの信仰を貫いたがゆえに命を落とした者たちである。

特に子どもや女性といった無力な存在まで犠牲になっていたことを考えると、その魂がこの地に強く縛られ、いまだ成仏できずにいる可能性は否定できない。

また、供養塔はその魂を慰めるために建てられたはずであるが、遊び半分で訪れたり、無遠慮に触れたりする者に対しては、何らかの「警告」として祟りを引き起こしているとも考えられる。

鏡処刑場跡は単なる歴史的遺構ではなく、静かに怒りと悲しみをたたえた霊たちが今も息づく、文字通りの“霊場”である。


岡藩 鏡処刑場跡の地図

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全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。