広島県福山市にかつて存在した「晴醐苑ホテル」は、“ドラキュラハウス”の異名で知られ、長年にわたり数々の心霊現象が囁かれてきた場所である。今回は、晴醐苑ホテルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
晴醐苑ホテルとは?

晴醐苑ホテルは、広島県福山市鞆町後地にかつて存在した中規模の観光ホテルである。
正式な開業年は1966年から1970年の間とされ、当初は大阪市に本社を置く株式会社発興社が運営していた。
同社は繊維製品の製造販売も手掛けており、本ホテルはその観光事業の一環として建設された。
高台に位置し、美しい眺望を誇ったこのホテルは、県道251号線「グリーンライン」の開通とともに集客を狙って建てられた。
しかし、グリーンラインは思ったほど観光客を呼び込むことができず、開通からわずか6年で有料道路から無料道路に変更されてしまった。
それ以降、周辺の施設も次々と廃業し、晴醐苑ホテルも1980年代半ばには閉業。
その後は人の気配を失い、風化と破壊によって荒れ果てた廃墟となり、「ドラキュラハウス」と不気味な異名で呼ばれるようになった。
晴醐苑ホテルの心霊現象
晴醐苑ホテルの心霊現象は、
- 男性の霊の出現
- 子供の霊の目撃と笑い声
- 謎の遊具周辺での異常現象
- 廃墟全体を包む異様な空気と視線
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、このホテルで最も有名だったのが「男性の霊」の目撃である。
誰もいない廊下の奥に、黒いシルエットがふいに現れ、見た者の方へとゆっくりと近づいてくる。
階段の踊り場やかつて客室があったエリアで、とくに目撃されることが多く、その姿は地縛霊であるとも囁かれていた。
次に語られるのは、子供の霊である。
ホテルの敷地内、建物に入ってすぐの場所には、当時、錆びついたパンダや「ライオン丸」の遊具が無造作に放置されていた。
その周囲で子供の霊が走り回る姿や、甲高い笑い声が聞こえてくるという報告が多数存在する。
遊具があるという一見無邪気な場所で、誰もいないのにブランコが勝手に揺れていたという証言もある。
また、廃墟全体にただよう異様な空気は、訪れた者の背筋を確実に凍らせる。
まるで誰かに監視されているかのような感覚に襲われ、目を逸らすと後ろに気配を感じるという。
その場にいるだけで、思考が重く沈み込み、早くその場を離れなければならないという強迫観念にかられるというのである。
晴醐苑ホテルの心霊体験談
ある探索者が、2000年代後半に晴醐苑ホテル跡地を訪れた際のことである。
建物の奥へと進んだ彼は、かつて宴会場であった広間で「誰かに見られている」という感覚を拭いきれなかったという。
カメラを構えた瞬間、レンズ越しに一瞬だけ、窓の外に黒い人影が映った。
振り返っても誰もいない。
さらに、建物を出ようとした時、階段の下から子供の笑い声が聞こえた。
「気のせいだ」と自身に言い聞かせるように足を進めたが、最後に振り返った瞬間、真っ暗な廊下の奥からこちらを見つめる小さな白い顔が浮かび上がったという。
晴醐苑ホテルの心霊考察
晴醐苑ホテルにまつわる心霊現象の多くは、不可解であるが、ある種の理屈は通るように感じられる。
まず、子供の霊が目撃されるという点から推測するに、このホテルは家族連れの宿泊も多かった可能性がある。
何らかの不慮の事故、あるいは病によって命を落とした子供が、その最期の思い出の場所としてこの地に留まり、遊具とともに存在し続けていたのではないか。
男性の霊に関しては、このホテルの経営に携わっていた者、あるいは従業員であった可能性もある。
観光開発に夢をかけながらも、衰退していったこの場所に強い無念を残して亡くなったとすれば、その執念が地に染み付いたとしても不思議ではない。
最終的にこのホテルは2019年に解体され、2020年には太陽光発電設備が設置された。
だが、建物がなくなったからといって、そこに宿っていた霊たちも消えたとは限らない。
むしろ、形ある「箱」が消えたことで、霊たちの存在はより広く、開けた空間に拡散していった可能性さえある。
晴醐苑ホテル——かつて“ドラキュラハウス”とまで呼ばれたこの地は、いまもなお、誰かに見られているような違和感を抱かせる場所として語り継がれているのである。
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