高知県香美市土佐山田町にある「繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔」には、1972年に発生した未曽有の土砂災害の犠牲者を悼む碑が建てられている。現在も現場を訪れた者の間で、不可解な霊の目撃談が囁かれているという。今回は、繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔とは?

繁藤大規模土砂災害は、1972年(昭和47年)7月5日、高知県香美市土佐山田町繁藤地区で発生した。
豪雨の影響で、繁藤駅背後の通称・追廻山が地すべりを起こし、午前6時45分に最初の小崩壊が発生。
避難誘導にあたっていた消防団員1名が行方不明となった。
その後も降り続く雨の中、120名体制で救出作業が続けられていたが、午前10時50分ごろ、山は轟音とともに大規模崩壊を起こす。
高さ80メートル、幅170メートル、長さ150メートルに及ぶ土砂が駅構内と周辺住宅を飲み込み、停車中だった高知発高松行きの列車を直撃した。
その勢いは凄まじく、家屋12棟、機関車1両、客車1両が瞬時に埋没。救助活動を行っていた町職員や消防団員、住民、列車の乗務員や乗客らも巻き込まれ、土砂は駅背後の20メートル下を流れる穴内川まで流れ落ちて川を埋め尽くした。
最終的な死者は60名に及び、四国の地で未曾有の災害として記録されている。
この出来事を教訓に、高知県では防災行政の見直しが進められ、消防団員の教育にも「危険の察知と避難判断力の重視」が新たに加えられた。
犠牲者を弔うため、現地には「繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔」が建てられ、今も毎年慰霊祭が行われている。
列車の窓からもその碑を確認することができる。
繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔の心霊現象
繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔の心霊現象は、
- 顔の崩れた女性の霊が現れる
- 夜中に女性のすすり泣きが聞こえる
- 誰もいないはずの慰霊塔の前で人影が立っている
- 現場近くでエンジン音や汽笛のような音が聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
最も知られているのは「顔の崩れた女性の霊」の目撃談である。
この女性の姿は、夜に慰霊塔の前を通ると、雨の中にぼんやりと浮かび上がるという。
顔ははっきりせず、どこか崩れたように見えることから、災害で亡くなった被害者の一人ではないかと囁かれている。
また、深夜に慰霊塔の近くで「すすり泣き」が聞こえるという報告もある。風や虫の音ではない、湿った地面に響くような泣き声だという。
さらに、訪れた者の中には「慰霊塔の前に人が立っていた」と証言する者も少なくない。
しかしその人影に声をかけようとすると、姿はふっと掻き消えるように消えてしまう。
加えて、夜になるとどこからともなく汽笛のような音が聞こえることがあるという。
崩壊で土砂に飲み込まれた列車の記憶が、今もこの地に残っているのかもしれない。
繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔の心霊体験談
ある訪問者は、真夏の慰霊祭の前日にこの場所を訪れたという。
手を合わせた瞬間、背後から「ザッ」と砂を踏むような音が聞こえた。
振り返っても誰もいない。風もなく、鳥の声すら止んでいたという。
その後、車に戻るとフロントガラスに泥のような手形が一つだけ残されていた。
また別の人は、夜に通りがかった際、ライトに照らされた慰霊塔の横に、誰かが立っていたという。
白い服を着た女性のように見えたが、近づくと光の中からふっと消えた。
恐ろしくなってそのまま逃げ帰ったという。
繁藤大規模土砂災害被災者慰霊塔の心霊考察
この地で語られる心霊現象の多くは、当時の災害の凄惨さに根ざしていると考えられる。
突如崩れ落ちた山、救助に向かった人々、そして列車ごと飲み込まれた乗客たち。
多くの命が一瞬にして奪われたこの場所には、無念や恐怖、そして助けられなかった想いが深く刻まれているのだろう。
「顔の崩れた女性の霊」という噂は、瓦礫と泥の中から発見された遺体の記憶が、人々の心に深く残り、形を変えて現れているのかもしれない。
また、汽笛やエンジン音といった音の怪異は、列車が飲み込まれた瞬間の衝撃が、この土地の“記憶”として再現されているとも解釈できる。
慰霊塔は、ただの石碑ではない。
それは、あの日ここで命を落とした人々の存在を今に伝える“記録”であり、“祈りの形”である。
しかし、そこに静かに立つ者たちは、今なお消えぬ痛みを伝え続けているのかもしれない。
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