兵隊の像のウワサの心霊話

大分県の住宅街にひっそりと佇む「兵隊の像」。かつては敬礼していたその手が、いつの間にか静かに下り、今は直立不動の姿勢に変わっている――そんな不可解な噂とともに、夜な夜な像が動く、兵隊の霊が現れるといった心霊現象が語り継がれている。今回は、兵隊の像にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


兵隊の像とは?

兵隊の像の外観

兵隊の像とは、大分市内の閑静な住宅街の一角にある、戦没者の英霊を弔うための墓地に建てられた石像である。

像は少年兵の姿を模しており、軍服を着用し、気をつけの姿勢をしている。

建立された年代や像のモデルとなった人物については詳しい記録が残っておらず不明とされているが、地元の古老によれば日露戦争に関わる戦没者が関係しているという。

この像は、周囲の墓石とは異なり、墓地の中でひときわ目立つ存在である。

特に不気味さを感じさせるのは、その像が“かつて敬礼をしていた”という不可解な噂が、今なお語り継がれている点である。


兵隊の像の心霊現象

兵隊の像の心霊現象は、

  • 夜中に像の手が上がり、敬礼の姿勢になるという
  • 敬礼していたはずの右手が、時を経て自然と下がっていったという
  • 像が夜な夜な動くという証言がある
  • 兵隊の霊と思われる男性の姿が目撃されている

である。以下、これらの怪異について記述する。

かつてこの兵隊の像は、右手を掲げて敬礼をしていたと伝えられている。

しかし、その手は年月を経て少しずつ下がっていき、現在では直立不動の気をつけの姿勢となっている。

地元の古老によれば、「最初はしっかりと敬礼していたのを覚えている。

だが、ある年を境に、気づけば手が肩の高さに、さらに胸元に、最後には下げきった」と語っている。

像の右手はコンクリート製であり、物理的に自然に動くとは考えにくい。

それにもかかわらず、何十年にもわたり“少しずつ手が動いた”という現象が起きたというのだ。

また、夜になるとこの像が敬礼をすると噂されている。

実際に深夜に像を見た若者が「一瞬だけ手が上がっていた」と証言したこともある。

像の周囲には監視カメラもなく、写真も撮影されていないため、証拠は存在しないが、目撃証言は複数あるという。

さらに、像の近くでは男性の霊の目撃談が相次いでいる。

軍服姿の青年が像のそばに立っていた、草むらの中からじっとこちらを見ていた、という話が、幾度となく地元住民の間で語られてきた。


兵隊の像の心霊体験談

80代の地元男性の証言によると、「あの像の手は確かに昔、上がっていた」とのことである。

彼の父親は、「戦死した少年兵の像だ」と話していたという。

また、この男性自身も幼い頃、像のそばで遊んでいた際に「誰もいないのに視線を感じた」「草むらが風もないのに揺れていた」と、不気味な体験を何度もしたそうだ。

近年では、若者たちが夜中に肝試し感覚で訪れ、「あの像、動いた!」「敬礼してるように見えた」と騒然となったこともあったという。


兵隊の像の心霊考察

兵隊の像にまつわる不可解な現象の数々は、単なる風説とは思えない重みを持っている。

まず、敬礼していた手が年月と共に下がったという現象は、物理的には説明がつかない。

風化や劣化で腕が落ちるのではなく、まるで“意思を持って動いた”かのような経過が、地元住民によって語られているのだ。

また、夜に敬礼をするといった話や、軍服姿の霊の目撃談が多数あることからも、何かがこの場所に“とどまり続けている”と考えざるを得ない。

かつてこの地に眠るはずだった少年兵が、自分の死が忘れ去られていくのを拒み、敬礼という形で今も何かを訴え続けているのではないだろうか。

戦争と死、そして祈りの場所。そんな聖域に、忘れられた魂が“形”として今も立ち続けている――兵隊の像が心霊スポットとして語られる所以は、そこにあるのかもしれない。


兵隊の像の地図

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