かつて「東洋一の黄金郷」と呼ばれ栄華を極めた鯛生金山。だがその栄光の裏側には、今もなお人知れずさまよう魂の存在が囁かれている。今回は、鯛生金山にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
鯛生金山とは?

鯛生金山(たいおきんざん)は、大分県日田市中津江村に位置するかつての金鉱山である。
発見されたのは1894(明治27)年、明治時代にさかのぼる。
1918(大正7)年にはイギリス人ハンス・ハンターによって近代化され、最盛期である1934~1938年には、年間2.3トンの金が採掘され、あの佐渡金山を上回る産出量を記録した。
周辺には病院、学校、飲食店が立ち並び、約3,000人が暮らす鉱山町として発展していた。
しかし1972年、鉱脈の枯渇により閉山。
その後は旧坑道の一部が「地底博物館」として一般に公開されている。
だが、この地にはただならぬ過去がある。坑道内では落盤事故が幾度となく発生し、尊い命が奪われた。
そのため、現在でも道の駅の向かいには「鯛生金山殉職者慰霊之碑」が静かに建てられている。
鯛生金山の心霊現象
鯛生金山の心霊現象は、
- 坑道内に少女の霊が現れる
- 人形の背後に人影が現れる
- 展示されている人形の数が増える
- 写真に見知らぬ子供の姿が写り込む
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、もっとも多く報告されているのが「少女の霊」である。
坑道内を進んでいくと、突如として足元に冷気が這い上がってきたかと思えば、遠くからすすり泣くような声が聞こえてくる。
そして、その奥の闇の中に、薄ぼんやりと白い服の少女が佇んでいる姿が見えたという証言がある。
少女はじっと来訪者を見つめており、視線を逸らせないまま逃げ出したという。
次に「人影」である。博物館として整備された坑道には、当時の作業風景を再現するため、等身大の人形が点在している。
だが、この人形の背後に“明らかに生身の人間”としか思えない黒い影が立っていた、という報告がある。
しかも、その影は見ているときは動かないが、視線を逸らして再び見ると、別の位置に移動しているという。
さらなる怪異は「人形の数」である。
事前に展示数を確認していた来場者が、帰り際にふと見返すと「1体多い」と感じたという。
確認してみても、案内にもその“増えたはずの人形”の説明が存在しない。
不気味さを感じた来場者が、スタッフに尋ねても「特に変化はない」という返答しかなかった。
そして最後に「子供の霊の写り込み」。
観光客が坑道内で記念写真を撮影したところ、背後にまったく知らない子供が2人、写っていたという。
しかもその子供たちは古びた服を着ており、目を伏せたまま、無言で並んでいたという。
鯛生金山の心霊体験談
ある来場者が、地底博物館を訪れた際のことである。坑道を進んでいると、展示されている人形の一体が突然“首を傾けた”ように見えたという。
驚き立ち止まると、その人形の目がこちらを見ている気がしてならなかった。
気のせいだと思い直し歩き出すと、後ろから「いっしょにいて…」というか細い声が聞こえ、凍りついたという。
また別の来場者は、帰宅後に撮影した写真を見返していた際、坑道内の一枚に、金網の奥に佇む子供の姿を見つけた。自身のグループに子供はいなかったため、誰なのか不明であった。
しかもその写真だけ、異様に暗く、ノイズのようなものが全体に走っていたという。
鯛生金山の心霊考察
鯛生金山に現れる心霊の多くは、落盤事故などで命を落とした作業員の霊であると推測される。
慰霊碑が建てられていることからも、この地でどれほどの犠牲が出たのか想像に難くない。
しかし、特に注目すべきは「少女や子供の霊」の存在である。鉱山という性質上、子供が働いていた可能性は低いはずだ。
だが、かつてこの町には多くの家族が暮らしており、親と共に暮らしていた子供たちが、事故や病によって命を落としたことも考えられる。
また、地底という閉ざされた空間は、霊的エネルギーが溜まりやすいとも言われている。
坑道内に響く水音、光の届かぬ奥深くの闇、静寂に包まれた空気……こうした環境は、訪れる者の精神を不安定にし、何かを“感じさせる”には十分である。
かつて栄光に包まれた黄金郷・鯛生金山。だがその深部には、今もなお語られぬ声と、成仏できぬ魂たちが棲みついているのかもしれない。
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