多羅尾処刑場跡は、滋賀県甲賀市信楽町に位置する江戸時代の刑場跡である。この地には、首のない霊や甲冑姿の足だけの幽霊、車に付く無数の手形といった数多くの心霊現象の噂が存在する。今回は、多羅尾処刑場跡のウワサの心霊話を紹介する。
多羅尾処刑場跡とは?
多羅尾処刑場跡は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾に位置する江戸時代の刑場跡である。
この場所は、徳川家康が天下を統一した時代に信楽代官所の管轄下で処刑が行われた歴史を持つ。
多羅尾氏は鎌倉時代に成立し、徳川家康の伊賀越えを助けた多羅尾光俊の功績により、家康からの信頼を得た一族である。
その後、光俊の子である光好が信楽代官所の初代代官に任命され、この地を統治した。
代官所は信楽地域の行政および治安維持を担い、その管轄下に多羅尾処刑場が設置された。
処刑場は御斎峠の北西約0.5kmの地点に位置し、現在も供養塔が残されている。
地元の区役員によって毎年清掃や法要が行われており、その歴史を今に伝えている。
多羅尾処刑場跡の心霊現象
多羅尾処刑場跡の心霊現象は、
- 首のない霊の目撃談がある
- 甲冑を着た足だけの霊の目撃談がある
- 車に無数の手形が付く
- 帰り道で事故に遭遇する
- 奥に進みすぎると帰ってこれなくなる
である。
首のない霊の目撃談がある
多羅尾処刑場跡では、処刑された罪人の霊が現れるという噂がある。
その中でも特に首のない人影の目撃談が多い。深夜に訪れると、首から上がない姿の霊が現れ、こちらをじっと見つめていると言われている。
その姿は怨念に満ち、見る者を強い恐怖に陥れるとされている。
甲冑を着た足だけの霊の目撃談がある
肝試しに訪れた者の中には、甲冑をまとった足だけの霊を目撃したという体験談がある。
全身の姿は見えず、足だけが地面を歩くように動いているという。
この異様な光景は、その場を訪れた者たちの記憶に鮮烈に刻まれる恐怖体験である。
車に無数の手形が付く
処刑場跡を訪れた後、車に戻ると窓ガラスや車体に無数の手形が付いているという報告がある。
これらの手形は大小様々であり、まるで何者かが車を取り囲んでいたかのような痕跡である。
この現象を体験した者は、不気味さのあまり訪問を後悔するという。
帰り道で事故に遭遇する
処刑場跡からの帰り道で交通事故に遭うという噂が後を絶たない。
特に、車のブレーキが突然効かなくなる、ハンドルが急に操作不能になるといった現象が報告されている。
このような事故は単なる偶然ではなく、何か見えざる力が働いているのではないかと考えられている。
奥に進みすぎると帰ってこれなくなる
多羅尾処刑場跡のさらに奥に進むと、道に迷い帰ってこれなくなるという話もある。
この現象は、処刑された者たちの怨念が訪問者を迷わせているのではないかと噂されている。
多羅尾処刑場跡の心霊体験談
多羅尾処刑場跡を訪れたある者が体験した話として、以下のようなものがある。
肝試しをしていた時に、背後からガサガサと音が聞こえたため振り返ると、甲冑を着た足だけの霊が自分の足元に立っていたという。
この体験者は、恐怖のあまり声も出ず、その場から逃げることすらできなかったと語っている。
また、処刑場跡を訪れた後、帰りの車内で異様な寒気を感じ、窓ガラスに無数の手形が付いていたという証言もある。
手形を拭き取ろうとしたが、消えることなく翌日まで残っていたという。
多羅尾処刑場跡の心霊考察
多羅尾処刑場跡の心霊現象は、江戸時代の処刑場という場所の歴史的背景に起因する可能性が高い。
処刑された者たちの無念や怨念が、この地に留まり続けていると考えられる。
さらに、処刑場跡の持つ薄暗い雰囲気や静寂な環境が、訪問者の心理に影響を与え、心霊現象を感じやすくさせているのではないか。
また、近隣で発生した悲惨な事件も、この地の不気味さを助長している可能性がある。
こうした出来事が重なり、多羅尾処刑場跡は強い霊的なイメージを持つ場所として語り継がれているのである。
心霊現象の真偽については定かではないが、この場所が多くの人々に恐怖を与える存在であることは間違いないと言えるであろう。
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