福岡市南区の住宅街にかつて存在した曰佐の竹藪(跡地)。現在は竹藪も神社も取り壊されているが、その地には今もなお異様な空気が漂うという。周囲は平穏な街並みに見える中で、なぜそこだけが重苦しく、不気味な存在感を放ち続けているのか。今回は、曰佐の竹藪(跡地)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
曰佐の竹藪(跡地)とは?

曰佐の竹藪とは、福岡市南区の住宅街の一角に、かつて異様な雰囲気を放っていた竹藪のことである。
この場所は元々、古びた神社がひっそりと佇んでいたとされる。
だが、開発の波に飲まれ、社殿は取り壊され、現在では竹藪すらも伐採され、その跡地にはうっそうと草木が生い茂るのみとなっている。
周囲には住宅地が広がり、向かいには業務スーパーがあるなど、一見すると生活感のある平穏な土地に見える。
だが、その一角だけが異様なまま、妙な気配を放っていたという。
神社があった名残がそこに何かを引きとめていたのか、それとも見せてはならない“何か”がその場所にいたのか――曰佐の竹藪(跡地)は、今もなお、その真相を語ることなく、沈黙している。
曰佐の竹藪(跡地)の心霊現象
曰佐の竹藪(跡地)の心霊現象は、
- 誰もいないのに強烈な視線を感じる
- 夜になると火の玉のような光が飛び交う
- 重苦しい雰囲気が漂い息苦しくなる
- 竹藪が伐採された現在も、異様な空気が残る
である。以下、これらの怪異について記述する。
誰もいないのに強烈な視線を感じる
竹藪が生い茂っていた頃、通りがかった者の多くが口を揃えて語ったのが、「誰かに見られている感覚」である。
しかも、それは気配と呼ぶには生ぬるく、背後から鋭く突き刺すような“強い意志”を持った視線であった。
振り返っても、そこには誰もいない。ただ、ざわつく竹の葉音だけが続いていたという。
夜になると火の玉のような光が飛び交う
神社が健在だった頃、夜になると竹藪の中に青白い火の玉が浮かび上がることがあった。
実際に目撃したという住人の話によれば、光はゆらゆらと漂いながら、竹の間を抜けていったという。
その現象は、誰かの命が消えるたびに現れたと噂されており、地元では恐れられていた。
重苦しい雰囲気が漂い息苦しくなる
昼間でさえ、竹藪の近くに立ち寄ると、急に胸が圧迫されるような感覚に襲われる者が後を絶たなかった。
呼吸が浅くなり、頭痛を覚える者すらいた。まるで何かに圧し潰されるかのような重苦しさが、その場所を包み込んでいたのである。
竹藪が伐採された現在も、異様な空気が残る
現在、竹藪はすでに切り払われ、鬱蒼とした雑草と草木が繁茂するだけの空き地となっている。
だが、そこに立てば、過去の異様さは未だ色濃く残っており、夜になると空間全体がねっとりとした沈黙に包まれる。
土地そのものが“何か”を宿しているのではないかと思わせるほどである。
曰佐の竹藪(跡地)の心霊体験談
近隣住人の中には、「昔は、あの竹藪の横を通ると背中がひやりとしていた」と語る者もいる。
中でも印象的なのは、ある男性が深夜に犬の散歩をしていた際、犬が竹藪の方向を見て突如吠え始め、その後尻尾を巻いて逃げ帰ったという話である。
翌朝、その男性が再びその場所を訪れると、竹藪の跡地に人の足跡のようなものが一対、ぽつんと残されていたという。
曰佐の竹藪(跡地)の心霊考察
曰佐の竹藪(跡地)は、ただの取り壊された神社跡ではない。
むしろ、何かを封じていた聖域であり、それを壊したことによって“見えざる何か”が現世に滲み出した可能性がある。
竹藪という結界が失われた今、その異様さは空間全体に広がり、記憶の中の神域として、今もなお強烈な印象を人々に与え続けている。
曰佐の竹藪(跡地)は、既に消えたはずの場所でありながら、何かが“終わっていない”ことを物語っているのかもしれない。
コメント