福島県田村市にある「常葉少年自然の家」には、かつて中野区の小中学生が利用していた林間学校の跡地として知られるが、現在は使われなくなったこの施設にまつわる数々の心霊現象の報告が存在する。今回は、常葉少年自然の家にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
常葉少年自然の家とは?

常葉少年自然の家(ときわしょうねんしぜんのいえ)は、福島県田村市に存在する中野区立の林間学校であった。
昭和54年(1979年)に開設され、東京都中野区の小中学校が移動教室や宿泊学習として利用していた教育施設である。
しかし、2011年の東日本大震災以降、福島第一原発からわずか32kmという距離にあることも影響し、施設は使われなくなった。
だが、使用中止の理由は放射線だけではない。かねてよりこの施設には、数々の不可解な現象が起きるとの噂があったのである。
施設の老朽化とともに、現在では廃墟化が進行しており、取り壊しの話も出ている。
だが、その背後にひそむ異質な気配は、いまだに人々の記憶と恐怖心を刺激し続けている。
常葉少年自然の家の心霊現象
常葉少年自然の家の心霊現象は、
- 女性の霊が現れる
- 誰もいないのに声が聞こえる
- 人影がよぎる
- 中野区の人間だけに話しかけてくる霊がいる
- 使用禁止の部屋に現れる白いモヤや血痕
- 心霊写真に写り込む顔やオーブ
である。以下、これらの怪異について記述する。
かつて利用されていた施設には23の部屋が存在していたが、その中にひとつ、決して使ってはならないとされる「禁じられた部屋」があった。
通常は閉鎖されていたこの部屋が、人数の関係でやむを得ず使用された際、異変が起きた。
部屋全体が突然白いモヤに包まれ、押し入れの戸には血のような痕が浮かび上がった。
窓の外から誰かがじっと覗いているような気配も感じられたという。
さらに、夜になると中野区出身者に限って、誰かに肩を叩かれ、「あんた、中野の人かね?」という声が耳元で囁かれる。振り返っても、そこには誰もいない。
だが、奇妙なことにこの現象は、まるで“中野”という土地に縛られた何者かが存在しているかのように、中野区民にのみ発生していたのである。
この背景には、太平洋戦争中に中野区の小学校がこの地に疎開していたという歴史がある。
疎開後、近隣の鎌倉岳に空襲を逃れて駆け込んだ児童と教師が、戻ってくることはなかったという。
施設が完成して以降も、移動教室で訪れた児童たちを乗せたバスが現地に近づいた際、人影が飛び出し、ドンッという衝突音をたてた。
しかしバスには一切の損傷がなく、人影も見つからなかった。ルートを変更すると現象は収まったとされており、因果関係が噂されている。
また、ある夜の肝試しでは、参加していた生徒が背後から肩を叩かれ、「あんた、中野の子かね?」と囁かれた。
近くには同級生がいたが、その声ではなかった。しかも、その同級生も同じ声を聞いていたという。
常葉少年自然の家の心霊体験談
・林間学校で訪れた小学生が、夜に花火をした際に撮った写真に、煙の中からこちらを睨む男の顔が浮かび上がっていた。
また、背景には複数の顔やオーブが写り込んでいたとの証言がある。
・「ききょう」の間では、天井にくっきりと女性の顔の染みがあったという報告が複数存在する。
その場にいた多くの生徒がそれを目撃しており、脳裏に焼き付いて離れなかった。
・「百合の部屋」と「蓮華の部屋」は立ち入り禁止とされており、押し入れには夜になると血のような文字が浮かび上がった。
これを見た教師も恐怖に震えていたという。
・施設利用後の帰路、バスが行きとは違うルートを走っていたことに気づいた生徒が、運転手に理由を尋ねると「幽霊を連れてこないように、帰りは別の道を通るんだよ」と静かに答えたという。
常葉少年自然の家の心霊考察
常葉少年自然の家にまつわる心霊現象は、単なる噂話ではなく、地域の歴史や土地に根ざした因縁と深く結びついていると考えられる。
特筆すべきは、「中野区の人間だけに語りかける霊」の存在である。
これは、戦時中に命を落とした中野区の児童や教師たちの無念が、形を変えて現れている可能性を示唆している。
また、使ってはならない部屋に現れる白いモヤや血痕、霊的染みなどの現象は、単に“気のせい”では片付けられない証言が重なっており、集団ヒステリーの一言で終わらせるには説得力が不足している。
さらに、心霊写真や音声、不可視の存在との接触といった要素が複合的に確認されており、常葉少年自然の家は、福島の地に今も残る“生きた霊場”として、多くの人々の記憶に刻まれているのだ。
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