八丈島

八丈島は、その美しい自然と温暖な気候で知られる伊豆諸島の有人島である。しかし、豊かな自然とは裏腹に、この島には恐怖と謎に満ちた心霊伝説が息づいている。今回は、八丈島のウワサの心霊話を紹介する。

八丈島とは?

八丈島の森

八丈島(はちじょうじま)は伊豆諸島に属する有人の島であり、八丈小島と区別するために「八丈本島」または「八丈大島」とも呼ばれることがある。

江戸時代、八丈島は度々飢饉に見舞われ、特に明和年間の大飢饉では島全体で多数の餓死者が発生した。

中之郷村では733人が餓死し、生き残ったのは400人にも満たなかったと云われている。

この悲劇を伝える「明和飢饉餓死者冥福之碑」が中之郷地区に存在する。

戦後の八丈島は観光産業が発展し、1960年代には温暖な気候と安価な旅行費用から新婚旅行先として人気を集めていた。

当時、八丈島は「日本のハワイ」と呼ばれていた。

しかし、1970年代に入り、海外旅行が安価になり、沖縄が日本に返還されたことで、本物のハワイや沖縄に観光客が流れ、八丈島への観光客数は減少する傾向にあった。

それでも、観光は現在も八丈島の重要な産業であり、当時の繁栄を示す巨大な廃墟ホテルが残っている。

1971年には、八丈富士を周回する道路の拡幅計画が進められ、用地を地元が無償提供する条件で計画が進められた。

しかし、用地交渉にあたって地権者を調査すると、多くの土地がすでに島外の人々に売却されており、地権者の約7割が島外者だったと記録されている。

1972年には、島外の業者によるストリップ劇場の建設計画が発覚し、島内の市民団体「八丈島の明るい環境を守る会」と島外の「東京都地域婦人団体連盟」が強い反対運動を展開した。八丈町役場も水道水の供給を拒否する条例案を準備して対抗した。

最終的には、八丈町が劇場敷地や建物を買い取り、建物は一部改装されて三根老人福祉館として開館された。

かつて八丈島には映画館やゲームセンターなど多くの娯楽施設が存在したが、現在ではパチンコ店、ボウリング場、カラオケ店、ゴルフ場などが細々と営業している。

これらの施設は本州と比べて古びており、規模も小さい。

また、コンビニやファストフード店、大手企業の店舗は本州には存在せず、深夜には買い物ができない状況である。

多くの店舗は島民による自営業として運営されており、生活面で不便さを感じることがあるそうだ。

八丈島の心霊現象

八丈島の心霊現象は、

  • 七人坊主の呪い・祟りがある

である。江戸時代、船が難破し、7人の僧侶が八丈島に流れ着いた。

しかし、島民たちは彼らを迎え入れるどころか、冷酷にも全員を殺害してしまった。

その後、村では白装束の幽霊が徘徊し始め、農作物は不作となり、家畜たちも次々と死んでしまった。

島民たちは恐怖のあまり、7人の僧侶の塚を作ることでようやく呪いが収まったと信じられている。

だが、呪いは時を超えて続いていた。

昭和27年、道路工事の作業員8人が土砂崩れに巻き込まれ、7人が命を落とした。

そして平成7年、島の火葬場で発生した不可解な事件が恐怖を一層深めた。

遺体が無断で焼かれ、その骨が炉内に放置されるという事態が発生したのだ。

調査の結果、焼かれた遺体は同時に7体であったことが判明した。

しかし、その遺体の出所は不明で、八丈島の墓地からは発見されなかった。

八丈島では1982年まで土葬が一般的だったため、どこから運び込まれたのかは謎のままだった。

八丈島では、このように7人にまつわる不幸な事件が頻発しており、すべてはかつての7人の僧侶の呪いがもたらしたものだと囁かれている。

今なお、島には深い恐怖と謎が渦巻いている。

八丈島の呪いの夜 七人の坊さんがもたらした恐怖のキャンプ

数人の仲間と共に八丈島の中ノ郷でカキランを見に行った際、私たちは「日の出花壇」を見学し、珍しい食虫植物に感心した。

その晩、日の出花壇のご主人である菊池義郎さんのご厚意で風呂を貸してもらい、農場の裏山にテントを張ってキャンプをすることにした。

八丈島の夏の夜は異常なほど蒸し暑く、大海原に囲まれたこの島でも熱気は一向に収まらず、「暑い」と言いながら過ごしていた。

しかし、疲れがたまり、次第に眠りに落ちていったその夜、突如として「オーー」という恐ろしい叫び声がテント内に響き渡った。

全員が目を覚まし、パニックに陥った。

混乱の中、テント内の数人が誰かの冷たい手に頭をなでられたと震えながら語った。

彼らの声は震え、息は荒く、その場の恐怖は尋常ではなかった。

すぐに、声に気づいた地元の者が駆けつけ、「今夜は家に来なさい…」と謎めいた言葉を口にした。

その言葉が私たちの恐怖を一層煽り、深夜のキャンプ場には得体の知れない不安感が漂っていた。

地元の者が説明するには、中ノ郷には「七人の坊さん」の伝説が伝わっているという。

その話によれば、昔、八丈島に流刑された7人の僧侶がいたが、島の飢饉のせいで住民たちは彼らを受け入れることができず、僧侶たちは中ノ郷の岬で命を落とした。

その後、毎年お盆の晩になると、7人の坊さんたちが霊となって集落に現れ、出会った者に災いをもたらすと云われている。

私たちがちょうどお盆の夜に山中でキャンプをしていたため、僧侶たちが私たちの人数を確認しに来たのだと語られた。

その話を聞いたとき、私たちは恐怖で体が硬直し、すぐにキャンプ場を別の場所に変更。

しかし、その後も八丈島での自然の美しさに浸りながらも、夜ごとにあの恐怖の感覚が尾を引き、眠れぬ夜を過ごした。

数年後、八丈島で再びキャンプをする機会があった。

あの恐怖の夜が忘れられず、再び訪れる勇気がなかったが、地元の人たちに話を聞くと、「坊さんたちの霊は、ただの迷信ではない。気をつけるに越したことはない」とのことだった。

夜のキャンプ場であの恐怖を思い出しながらも、新たな体験をし、友人たちと共に再び八丈島の自然を楽しんだ。

八丈島の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。