富岡吉利支丹供養碑(千人塚)のウワサの心霊話

天草・島原の乱で命を落とした一揆軍の無念が眠る場所、富岡吉利支丹供養碑(千人塚)。首塚としての歴史を持つこの地では、今も数多くの心霊現象が報告されている。今回は、この千人塚にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


富岡吉利支丹供養碑(千人塚)とは?

富岡吉利支丹供養碑 千人塚の外観

富岡吉利支丹供養碑(千人塚)は、熊本県天草市苓北町富岡に位置する史跡である。

この地は、1637年から翌年にかけて勃発した島原の乱で命を落とした一揆軍の首級が埋められた場所であり、供養のために建立された碑が立つ。

歴史的背景

島原の乱は、キリスト教徒への弾圧と過酷な年貢に苦しむ農民や漁師たちが蜂起した事件である。

一揆軍の中には、かつて天草氏や志岐氏に仕えた武士たちや、キリシタン大名だった小西行長の旧臣も含まれており、単なる農民一揆とは異なる様相を呈していた。

この乱の最中、16歳のカリスマ的少年、天草四郎を総大将として一揆軍は団結し、廃城となっていた原城に立てこもった。

しかし、幕府軍は九州諸藩をはじめ全国から兵力を集めて討伐を敢行。一揆軍は壊滅し、死者は1万人以上にのぼった。

供養碑と首塚

富岡吉利支丹供養碑は、1647年に初代天草代官の鈴木重成によって建立されたものである。

この碑は、一揆軍の戦死者約3000人の首級が埋められた首塚の上に建てられており、地元では「千人塚」と呼ばれている。

首級は、富岡、長崎西坂、雲仙愛野の3カ所に分割され埋葬された。

供養碑の周辺は、静かな森に囲まれており、訪れる人々は歴史の重みを感じながら祈りを捧げる。


富岡吉利支丹供養碑(千人塚)の心霊現象

富岡吉利支丹供養碑(千人塚)の心霊現象は、

  • 女性の霊が展望台に現れる
  • どこからともなくうめき声が聞こえる
  • 落武者の霊が現れる
  • 首塚の近くで足音が聞こえる

である。

女性の霊が現れる

供養碑の近くにある展望台では、女性の霊が目撃されるという。

特に夕暮れ時にその霊が出現し、物悲しげな雰囲気を漂わせているとされる。

うめき声

夜間、供養碑の周囲では、どこからともなくうめき声が聞こえることがある。

声は風に乗って聞こえるように感じるが、近づいてもその正体はわからないという。

落武者の霊

首塚周辺では、かつて戦場で命を落とした武士の霊が現れるという噂がある。

鎧をまとった霊が首塚をさまよう姿を目撃したという証言がいくつか寄せられている。

足音

供養碑の参道では、誰もいないはずなのに足音が後をつけてくるような感覚を覚えることがある。

足音は徐々に近づいてくるため、訪れた人々に恐怖を与える。


富岡吉利支丹供養碑(千人塚)の心霊体験談

体験談1:展望台での女性の霊

「友人と供養碑を訪れた際、展望台で白い着物を着た女性が立っているのを見た。声をかけようとしたが、ふっと姿が消えてしまった。」

体験談2:うめき声の正体

「深夜に供養碑を訪れた際、風の音に混じってうめき声のようなものが聞こえた。背筋が凍りつき、その場から逃げ出したが、声はしばらく追いかけてくるようだった。」


富岡吉利支丹供養碑(千人塚)の心霊考察

富岡吉利支丹供養碑(千人塚)は、1万人を超える一揆軍の命が犠牲となった場所である。

その無念や怨念が強く刻まれており、現代でも霊的現象として現れるのだろう。

特に首塚としての歴史を持つこの場所は、供養が十分にされていない霊が集まりやすいと考えられる。


富岡吉利支丹供養碑(千人塚)の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。