「挑燈野」とは、戦国時代に徳川家康が武田軍に対して使用した戦術に由来する場所である。多くの武田軍兵士が命を落としたこの場所では、武士の霊が出るとされ、夏の夜には提灯のような火や鎧を着た武士の姿が報告されている。今回は、挑燈野のウワサの心霊話を紹介する。
挑燈野とは?
挑燈野は、静岡県磐田市上万能の「上万能交差点」の場所にある。
元亀3年(1572)武田信玄は、3万5千の大軍で徳川家康の軍4千と一言坂で戦い、家康軍を打ち破った。
家康軍は退却に際し武田軍を誘い込むため、湿地帯の石動(ゆるぎ)といわれる沼地を利用した。
腰まで潜る震田に布橋をかけ松林には幟や火をともした提灯(挑燈)を灯し陣地と見せかけ武田軍を待った。
武田軍は怒涛のように押し寄せ深い沼に落ち苦しみ、家康軍は武田軍に大損害を与え浜松まで退却する事ができた。
村人たちは、この戦いで死んだ武田軍の将兵を集めて懇ろに弔い、ここを挑燈野と呼び、夏の夜「万能ボタル」という大きな蛍がたくさん飛ぶのは、武田軍将兵の魂であると伝えられている。
また、歴史資料によると、武田勝頼が遠江に侵攻した際にも徳川家康が同じ手段を使い、多くの甲斐兵が戦死して「挑燈野」と名付けられたとされているそうだ。
挑燈野。「挑燈野」は静岡県磐田市に所在する伝承地。徳川軍は「挑燈」で「ゆるぎ」と呼ばれる深田に武田軍をおびき寄せて殲滅した。「挑燈野」辺りで飛ぶ蛍は「ゆるぎ」で討死した武田兵の魂であると伝わる。 pic.twitter.com/i9k8RDSmC2
— 真庭ふしぎ@風来人 (@fusigi_plants) October 11, 2021
挑燈野の心霊現象
挑燈野の心霊現象は、
- 武士の霊が出る
である。「挑燈野」周辺では、夏の夜になるとたくさんの提灯のような火が見えたり、鎧を着た武士が地下道を歩くなど、心霊現象が報告されている。
地元では、これらの現象が武田軍の死んだ武士たちの霊ではないかとウワサされているそうだ。
特に地下道は、霊の気配がするため避けて通る者が多いようだ。
この地域が「挑燈野」と呼ばれるのは、提灯のような火が見えるという心霊現象に由来している。
武田軍の武士たちの霊が出ると云われる理由は、「一言坂の戦い」という有名な合戦が関係しているためだ。
この戦いは、1572年10月に現在の磐田市周辺で行われた武田軍と徳川軍の戦いで、徳川家康が人生最大の敗北を喫した戦いの前哨戦とされている。
戦いでは、徳川軍が湿地帯の一言坂に罠を仕掛け、松林に火を灯して提灯のように見せかけたため、武田軍は深追いしたため沼に落ち、敗北したという経緯がある。
戦いが終わった後、地元の村人たちは死んだ武田軍の武士たちをていねいに弔ったそうだ。
現在は夏の夜に万能ボタルという大きな蛍が飛んでくることがある。
地元の老人たちは、これが武田軍の武士たちの魂が飛んできているのではないかと語り継いでいる。
この場所を訪れた者の中には、ユラユラと動いている火の玉のようなものが見えたという体験談もある。
磐田市の挑燈野(ちょうちんの)に来ました。心霊スポットではないですが、ここは家康に罠に嵌められ命を落とした武田軍の魂が、夜な夜な蛍火のようにさまよったというお話のある場所です(*´ー`*)
— 豊橋心霊散歩 (@shinreisanpo) July 26, 2018
普通の町で面影とかはないのですが、地名はその現象が由来になってるみたいですね。 pic.twitter.com/1MVYuuUIBz
挑燈野の場所・アクセス・地図
挑燈野の住所 | 〒438-0817 静岡県磐田市上万能 |
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交通アクセス | 富士市から東名高速道路経由で約1時間23分 |
最寄りのバス停 | 宮之一色西(徒歩5分)県道261号 経由 |
最寄り駅 | 豊田町駅(徒歩22分)県道261号 経由 |
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