かつて日本軍や米軍の弾薬庫として使われ、戦争の爪痕が今なお残る「山田緑地(山田弾薬庫跡)」。現在は市民の憩いの場として整備されているが、その静寂な森の奥には、不気味な心霊のウワサが囁かれているという。今回は、山田緑地(山田弾薬庫跡)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
山田緑地(山田弾薬庫跡)とは?
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山田緑地は、福岡県北九州市小倉北区の南西部に広がる広大な都市公園であり、その総面積は東京ドーム約30個分に相当する約140ヘクタールを誇る。
現在では市民の憩いの場として親しまれているが、その地には重苦しい歴史が横たわっている。
昭和9年(1934年)、旧日本陸軍によってこの地に弾薬庫が建設され、戦時中は弾薬の填薬および保管が行われていた。
昭和16年にはその規模が拡張され、西日本最大級の弾薬庫となった。
終戦後はアメリカ軍に接収され、朝鮮戦争やベトナム戦争の際には、この地から弾薬が出荷されたとされている。
また、戦後には「一の谷4号火薬庫」で大規模な爆発事故が発生し、住民62名が死亡、数多くの負傷者が出るという凄惨な事件も起きている。
その後、1970年に弾薬庫は閉鎖され、敷地は分割されるかたちで返還された。1987年より整備が進められ、1995年に山田緑地として開園した。
だが、この地に染みついた戦争の記憶と血の痕跡は、未だ完全に風化していない。
山田緑地(山田弾薬庫跡)の心霊現象
山田緑地(山田弾薬庫跡)の心霊現象は、
- 軍服姿の男性の霊が出没する
- 深夜になると誰もいないはずの森の奥から足音が響く
- 弾薬庫跡で突然、うめき声のような音が聞こえる
- 獣人のような毛むくじゃらの影を目撃したとの報告がある
である。以下、これらの怪異について記述する。
軍服姿の男性の霊
最も多く報告されているのが、旧日本軍の軍服を着た男性の霊の目撃である。
彼は弾薬庫跡の周辺にぼんやりと佇んでいることが多く、目が合った瞬間、スッと姿を消すという。
時には顔が判別できるほど近くに現れることもあり、異様なまでの無表情が印象的であるという証言もある。
謎の足音
緑地内の遊歩道を歩いていると、後ろから足音がついてくるという現象も頻発している。
振り返っても誰もいない。だが歩き出すと、再び「ザッ、ザッ…」という音がすぐ背後から迫る。
霧の深い日には、足音だけでなく軍靴の金具が石に当たるような「カチン」という音も聞こえたという報告がある。
うめき声
最も恐ろしいという者も多いのが、弾薬庫跡から聞こえるうめき声である。
「ウゥ…ウゥ…」と低く苦しげな声が、誰もいないはずの朽ちたコンクリートの内部から漏れ出してくる。
録音を試みた者もいたが、録音機器には謎のノイズが混じり、肝心の声だけが記録されていなかったという。
毛むくじゃらの獣人
異色の現象として、「イエティ」や「サスクワッチ」に似た毛むくじゃらの影の目撃例がある。
場所は緑地北部、鷲峰山の麓付近。体長2メートルを超える黒い影が、茂みの中を移動しているのを見たという複数の証言が存在する。
霊現象とは一線を画すこの存在もまた、山田緑地が放つ異様な空気を物語っている。
山田緑地(山田弾薬庫跡)の心霊体験談
30代男性の体験談によると、彼が友人と共に夜の山田緑地を訪れた際、誰もいないはずの弾薬庫跡の前で突然、軍服を着た男が目の前に現れたという。
男は無言のまま彼らを見つめ続け、数秒後に霧のように消えた。
恐怖に駆られ逃げ出そうとした瞬間、彼の背中を何者かに強く押され転倒。
振り返っても誰もいなかったが、肩には泥のついた大きな手形が残っていたという。
山田緑地(山田弾薬庫跡)の心霊考察
山田緑地は、かつて人命をも巻き込んだ軍事施設としての歴史を持つ。
終戦後の大爆発で命を落とした多くの民間人の魂、あるいは戦時中にこの地で命を絶った兵士たちの怨念が、今もなお弾薬庫跡に強く残っている可能性は高い。
加えて、アメリカ軍による火薬の充填作業など、現地で行われた戦争の裏側の作業もまた、強い負のエネルギーを生んだと考えられる。
不可解なうめき声や足音は、無念の思いを抱えた霊たちの「存在の主張」なのかもしれない。
そして毛むくじゃらの獣人の目撃例は、この土地の異界的な性質が常識では測れない“何か”を引き寄せていることの証左であろう。
森は癒しの場でもあり、同時に忘れてはならぬ戦争の記憶を封じ込めた場所でもある。
その静寂の裏に、耳を澄ませば何が聞こえてくるだろうか――。
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