京都三大心霊トンネルのひとつ「厨子奥トンネル」。かつて粟田口刑場が存在し、無数の罪人が処刑されたこの地には、今なお怨霊が彷徨っているという。トンネル周辺には無縁仏の墓が点在し、不気味な雰囲気を漂わせている。観音様の祟り、奇怪な体調不良、そして夜な夜な現れる霊の目撃談──。今回は、厨子奥トンネルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
厨子奥トンネルとは?

京都の心霊スポットを語る上で欠かせない場所のひとつ、それが厨子奥トンネルである。
このトンネルは京都市営地下鉄東西線・御陵駅から徒歩約10分の距離にあり、周囲には住宅地や小学校、保育所が点在している。
一見すると、ただのレンガ造りの古いトンネルに見えるかもしれない。
しかし、この地には深い歴史と、ただならぬ”何か”が潜んでいるのだ。
かつて、この一帯は粟田口刑場と呼ばれ、15,000人以上の罪人が処刑された場所であると言われている。
そして現在、トンネルの出入口付近には無縁仏が祀られた墓地が広がり、訪れる者に異様な雰囲気を感じさせる。
さらに、かつてトンネルの壁には観音様が描かれていたとされ、その絵に落書きをした者が原因不明の精神疾患を患ったり、体調不良に見舞われたという噂が絶えなかった。
今ではその観音の姿は消えかかっているが、それでもなお、不穏な空気はこの場所に色濃く漂っているのである。
厨子奥トンネルの心霊現象
厨子奥トンネルにまつわる心霊現象は、
- トンネル内で耳元に囁く声が聞こえる
- 入口付近にある無縁仏の墓地で白い影が彷徨う
- トンネルを通ると、突然息苦しくなる・気分が悪くなる
- 夜中に訪れると、背後から何者かに追われるような足音が響く
- 落書きをした者に不可解な不幸が降りかかる
である。これらの現象が単なる偶然なのか、それともこの地に眠る”何か”の仕業なのか…。
以下、これらの怪異について記述する。
囁き声の正体とは?
厨子奥トンネルを訪れた者の中には、「誰もいないはずなのに、耳元で囁く声が聞こえた」と証言する者が多い。
その声は男女の区別もつかないほど不明瞭で、「助けて…」「帰れ…」といった断片的な言葉が聞こえることもあるという。
この現象は、粟田口刑場で処刑された者たちの無念が声となり、訪れた人々に囁きかけているのではないかと考えられている。
無縁仏の墓地に現れる白い影
トンネルの両端にある墓地では、夜になると白い影がゆっくりと彷徨っているのが見えるという。
この影は、ふと目を離した瞬間に消えてしまい、後を追うことはできない。
訪れた者の中には、「影が近づいてくるのを見た」「気づいたらすぐ横にいた」という証言もある。
これが何を意味するのかは不明だが、少なくとも”そこに何かがいる”ことは確かだろう。
体調不良を訴える者が続出
厨子奥トンネルを訪れた者の中には、「急に息苦しくなった」「激しい頭痛に襲われた」「足が急に重くなり、一歩も動けなくなった」といった体調不良を訴える者が多い。
これらの症状が一時的なものであることが多いため、医師による診断を受けても原因が不明である場合がほとんどだという。
心霊現象を信じるか信じないかは別として、”何か”が人体に影響を及ぼしている可能性は否定できない。
背後から響く足音の恐怖
「夜にトンネルを歩くと、背後から足音がついてくる」
この噂は多くの訪問者によって語られている。振り返ると、そこには誰もいない。しかし、足音は確かに聞こえ続けるのだ。
まるで何者かがすぐ後ろを歩いているかのように…。
中には、「猛スピードで近づいてくる足音を聞いたが、振り向いた瞬間に消えた」という証言もある。
これは、一体何の仕業なのだろうか?
観音様の祟り
かつてトンネル内には観音様の姿が描かれていた。
だが、それに落書きをした者が次々と奇妙な不幸に見舞われたという噂がある。
- 精神に異常をきたし、入院することになった
- 突然の事故に遭い、重傷を負った
- 夜な夜な悪夢を見るようになった
こうした報告が相次いだためか、現在では観音様の姿は消されてしまった。
しかし、その”呪い”が解かれたかどうかは、誰にも分からない。
厨子奥トンネルの心霊体験談
ある探索者は、トンネルを抜けた先の墓地で”それ”を見たという。
「白装束の女が、ぼんやりと墓碑の前に座っていた」
その女は、じっとこちらを見つめていたという。
しかし、よく見ると顔がない。
恐怖に駆られ、その場を立ち去ろうとした瞬間、背後から”ズル…ズル…”と何かを引きずるような音が聞こえてきた。
「もう振り向けない」
そう思いながらも、どうしても気になってしまい、ほんの少しだけ後ろを見た。
そこには、墓碑の前に長い髪の女が佇んでいた。
「次は…あなたの番よ」
女の口がそう動いた気がした瞬間、意識が途切れ、その探索者は気を失ったという。
厨子奥トンネルの心霊考察
この場所で語られる数々の怪奇現象には、一貫した共通点がある。
それは、”死者の存在を感じること”。
かつて多くの罪人が処刑され、無縁仏が集まるこの地は、まさに”霊の通り道”と呼ぶにふさわしい。
その怨念が、今なおこの場所に影を落とし続けているのかもしれない。
もし、この地を訪れることがあるのなら…決して軽い気持ちで近づいてはいけない。
それは”遊び”では済まされないかもしれないのだから。
コメント