かつて下関市に存在した旧下関市立神田小学校には、閉校後もなお語り継がれる数々の不可解な現象や悲劇的な事件が残されている。校舎に現れる少年の霊や、水のないプールから響く子どもの声、そして実際に起きた自殺・事故死――静まり返った校舎に染みついた記憶は、今も静かに、しかし確かに息づいているという。今回は、旧下関市立神田小学校にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
旧下関市立神田小学校とは?

旧下関市立神田小学校は、山口県下関市西神田町にかつて存在していた公立小学校である。
1955年に開校し、最盛期には1500人を超える児童が在籍したマンモス校として知られていた。
本校は、JR下関駅の北側という市中心部に位置し、神田町・東神田町・西神田町・新地町・伊崎町を校区としていたが、少子化の影響により2017年3月末をもって閉校。
校区は近隣の桜山小学校および向山小学校に統合された。
なお、下関市には同名の神田小学校がもう一校存在していたが、今回取り上げるのは西神田町の旧下関市立神田小学校である。
ここには、決して忘れてはならない凄惨な出来事と、それに付随する数々の心霊現象が残されている。
旧下関市立神田小学校の心霊現象
旧下関市立神田小学校の心霊現象は、
- 少年の霊が目撃される
- 誰もいないはずの校舎から子どもの声が聞こえる
- 深夜、無人の校舎に灯りがともる
- 水の入っていないプールから授業中の声や子どものはしゃぎ声が聞こえる
- いじめを苦にした児童の飛び降り自殺
- プールでの不可解な溺死事件
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最も語り継がれているのが少年の霊の目撃談である。
夕暮れ時、人気のない校舎の窓から、ランドセルを背負ったまま佇む少年の姿が見えたという証言がある。
その姿は見るたびに場所が異なり、時にはプールの縁に立っていたり、職員室のドアの隙間から覗いていることもあるという。
また、無人の校舎から子どもの笑い声や走り回る足音が響くという現象も多発していた。
近隣住民によれば、深夜になると誰もいないはずの校舎に明かりが灯り、まるで授業でも行われているかのようなざわめきが響いていたという。
さらに異常なのは、水の抜かれたプールから子どもたちの歓声や授業の声が聞こえてくるという怪異である。
何人もの目撃者がこの現象を訴えており、中には「先生、足がつった!」という叫び声まで聞こえたという。
これらの怪現象の背景には、過去に実際に起きた悲劇的な事件が存在する。
かつてこの小学校に通っていた児童が、いじめを苦にして校舎から飛び降り自殺を遂げた。
そしてその翌年には、プールの授業中に別の児童が溺死するという、あまりにも痛ましい事件が続けて発生しているのである。
旧下関市立神田小学校の心霊体験談
旧下関市立神田小学校に夜忍び込んだ若者の証言がある。
肝試し目的で校舎の裏口から侵入した彼らは、何もないはずのプールに視線を向けた瞬間、耳元で「ねえ、いっしょに泳ごうよ」と幼い声を聞いたという。
驚きと共に振り向いた先に、人影はなかった。しかしプールの中央には水などないはずなのに、水面に浮かぶような波紋が広がっていたという。
別の者は、夜の校舎内を探索中、2階の教室で窓際に立つ少年の姿を目撃した。
話しかけようとした瞬間、少年は窓の外に身を乗り出し、ふっと姿を消したという。
その足元には、どこから現れたのか、大量の水たまりができていたというのである。
旧下関市立神田小学校の心霊考察
数々の証言と不可解な現象を照らし合わせると、旧下関市立神田小学校には過去の悲劇が強く残留していると考えられる。
特に、飛び降り自殺とプールでの溺死という二つの死は、学校という空間に強烈な負の記憶を刻み込んだに違いない。
教育の場としての明るさと、悲劇の舞台となった陰が共存するこの場所は、時間を経てもなお、その痕跡を訪れる者に見せつけているのだ。
かつて元気に学び、遊んだ子どもたちの声が、今も静かに響き続けているとすれば──そこは単なる廃校ではなく、記憶が閉じ込められた霊的な空間なのかもしれない。
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