蒙古塚のウワサの心霊話

福岡県志賀島に実在する心霊スポット「蒙古塚」。鎌倉時代の元寇にまつわる血塗られた歴史と、今なお語り継がれる数々の怪異。今回は、蒙古塚にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


蒙古塚とは?

蒙古塚の外観

蒙古塚は、福岡市東区志賀島にある慰霊塔であり、元寇(文永の役・弘安の役)において戦死した蒙古軍の兵士を弔うために建てられた供養塔である。

志賀島は、1274年(文永11年)および1281年(弘安4年)の元寇の舞台となった古戦場であり、当時、日本に攻め入った蒙古軍は激しい戦闘の末に撃退されたとされる。

その過程で志賀島に上陸した蒙古兵の多くが命を落とし、捕虜となった兵士たちのうち約120人が斬首されたと伝えられる。

その斬首の地に築かれたのが蒙古塚であり、「首切り塚」とも呼ばれてきた。

供養塔は1927年(昭和2年)、日蓮宗の僧・高鍋日統によって建立され、後に蒙古連盟自治政府の指導者・徳王も参拝している。

現在は福岡市中央区の勝立寺の飛び地境内として祭祀されている。

かつてこの場所は駐車場として使われていたが、供養塔のあった跡地には今も「南無妙法蓮華経」の文字が残されており、歴史の重みとともに、どこか禍々しい空気を漂わせている。


蒙古塚の心霊現象

蒙古塚の心霊現象は、

  • 正体不明の霊が現れる
  • 祟りにあう
  • 肝試しの帰りに事故に遭う
  • 霊に取り憑かれたように泡を吹いて倒れる

である。以下、これらの怪異について記述する。

蒙古塚では、夜になると人影のようなものが供養塔の周囲に現れることがあるという。

その姿はぼんやりとしており、顔も体もはっきりしないが、霧のように揺らめく姿が突然現れ、そして消える。

写真を撮ると、その霧の中に無数の顔が浮かび上がっていたという話もある。

また、「祟り」の噂も根強く残る。地元の年配者の中には「タタリがあるけん、あそこには行ったらいかん」と今も子どもたちに語り聞かせる者もいる。

肝試し半分の気持ちで訪れた若者が帰り道に交通事故に遭ったり、体調不良に悩まされたという事例も後を絶たない。

最も恐ろしい体験の一つは、友人同士で訪れたグループの中の一人が突然泡を吹いて倒れ、その後しばらく意識が戻らなかったというものだ。

倒れた本人は目覚めた後もその時間の記憶が一切なく、まるで霊に憑依されていたかのような状態だったと語られている。


蒙古塚の心霊体験談

ある夏の夜、数人の若者が蒙古塚に肝試しに訪れたという。

最初はただの悪ノリで、「首切り塚ってマジでヤバいん?」などと軽口を叩きながら供養塔の前に立った。

そのうちの一人が、階段を上りきったあたりで突然膝から崩れ落ち、目を見開いたまま泡を吹いて失神してしまった。

慌てた仲間が救急車を呼んだが、搬送される間、失神した本人は虚ろな目で天井を睨み続けていたという。医師によれば、体に異常はなかった。

後日、その人物は「何も覚えていない」とだけ口にし、それ以来蒙古塚の話題には一切触れなくなったという。


蒙古塚の心霊考察

蒙古塚が心霊スポットとされる理由は、その土地の歴史と因縁にあると考えられる。

蒙古軍の兵士たちは、見知らぬ異国の地で戦い、そして非業の死を遂げた。

その無念と怨念が、斬首という過酷な最期を迎えた地に今もなお染み付いているのだ。

また、慰霊の意図で建てられた供養塔があれど、その塔自体がかつての怨念を封じ込める結界の役割を果たしている可能性もある。

だが、その封印が時に緩むことで、霊たちの姿が現れ、現代の人間に災いをもたらすのではないかと推測される。

慰霊とは、死者の魂を静めることである。

しかし、その思いが本当に届いているのか、蒙古塚に立つことで、それを問われているような気さえする。

蒙古塚――それは歴史の闇に沈んだ、いまだ成仏せぬ怨霊たちの叫びがこだまする地である。


蒙古塚の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。