長崎県に存在した「シスター寮跡地」には、かつて修道女たちが集団自殺を遂げたという戦慄のウワサが語り継がれている。現在は廃墟も撤去されているが、その地には今なお不気味な心霊現象の噂が絶えない。今回は、シスター寮跡地にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
シスター寮跡地とは?

長崎市内の奥深く、三和町の山中にひっそりと存在した廃墟──それが、かつて「シスター寮」と呼ばれていた建物である。
明治時代に建てられた煉瓦造りのキリスト教系施設で、当時は孤児院や修道院として機能していたとされる。
管理していた宗教団体が市街地から遠すぎるという理由でこの地を放棄し、やがて建物は時の流れに取り残された。
しかし、その放棄の裏には、集団自殺や精神錯乱といったおぞましい事件の噂が絶えず囁かれてきた。
真偽のほどは定かではないが、建物が存在していた頃から、この地は地元で“近づいてはいけない場所”として恐れられていた。
シスター寮跡地の心霊現象
シスター寮跡地の心霊現象は、
- 女性の霊が2階の窓からこちらを覗いている
- 雨の日には、雨音に混じって女性たちのすすり泣きが聞こえる
- 肝試しに訪れた人数が、帰りにはなぜか増えている
- 寮を出ようとすると、扉が突然開かなくなる
である。以下、これらの怪異について記述する。
廃墟となったシスター寮は、白い外壁を草木が覆い尽くし、窓ガラスはすべて割れていた。
中へ足を踏み入れると、まるで時間が止まったかのような空気に包まれる。
懐中電灯で照らされた下駄箱には、まるで血のような赤黒い染みがこびりついていたという。
中は散乱したゴミと壊れた家具。若者たちの肝試しの痕跡だろう。
しかし、異様なのは、割れた窓に残されたカーテンが今もなお風に揺れていたことだ。
その揺らめきは、どこか人の動きにも似ていたという。
2階へと続く階段の壁には、赤い文字で「呪」の文字が刻まれていた。
階段を上がると、畳の部屋から軋むような音が聞こえた。
何もないはずのその部屋では、風が強くもないのに空気が渦巻くように感じられたという。
最も奇怪なのは、寮を出ようとしたときのこと。
さっきまで開いていた玄関のドアが、まるで意思を持ったかのように固く閉じられていたのだ。
逃げようとした者たちはドアをこじ開けるのに苦労し、その背後からは、確かに何かの気配が感じられたという。
シスター寮跡地の心霊体験談
現地調査を行った者の証言は、より生々しい恐怖に満ちている。
夜9時、三和町の川原大池を抜けた先にある山道に車を走らせる。
未舗装の細道を進むうち、突如として林の奥から白い建物が浮かび上がった。
それがシスター寮跡である。
近づくにつれ、寮の輪郭ははっきりとし、草むらの間からぼんやりと門が見えた。
朽ちた門をくぐり、荒れ果てた道を進むと、かつてシスターたちが暮らした寮が姿を現した。
中を探索する間、幾度となく「視線」を感じたという。
振り返っても誰もいない。
しかし階段を上がったその先では、まるで見えない何者かが部屋の奥に立っているような、重い空気があった。
部屋を出る際、階段の手すりに触れた瞬間、ふいに背筋を冷たいものが走ったという。
建物を出ようとしたとき、ドアはまるで封印されたかのようにびくともしなかった。
そして、ようやく車に乗り込むも、今度はエンジンが掛からない。
焦る中、誰かが後部座席に座っているような気がしてならなかった。
シスター寮跡地の心霊考察
この寮で噂される霊現象の多くは、女性──すなわちシスターたちの霊によるものとされる。
とりわけ2階に集中する怪異は、彼女たちが集団自殺を遂げたという伝説を裏付けるかのようである。
ただし、Mという施設の関係者によると、焼身自殺などの話は事実ではないという。
だが、事実であるかどうかに関係なく、恐怖は存在し、現象は起きている。
人々が「そこに何かいる」と感じる以上、それはもう“無い”とは言えないのである。
長年人の手が入っていない山奥に、存在を忘れられた建物があるというだけで、その場所には異界と通じる“隙間”が生まれるのかもしれない。
霊が現れるのではなく、我々が“あちら側”に足を踏み入れてしまうのではないか──そんな思いが頭をよぎる。
「数が増えていた」という話も、単なる錯覚や記憶違いと片付けることはできない。
霊というものが実際に存在するかはともかく、人の恐怖心が何かを“引き寄せる”のは確かなのである。
かつて憩いの場だった修道院の跡は、今や昼間ですら人を寄せ付けぬ禁忌の地となっている。
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