長崎市にある日本最古の石造アーチ橋「眼鏡橋」。観光名所として知られる一方で、この場所には、原爆投下時の惨劇や不可解な心霊現象が語り継がれている。今回は、眼鏡橋(長崎)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
眼鏡橋(長崎)とは?
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眼鏡橋(めがねばし)は、長崎市の中島川に架かる日本最古の石造アーチ橋である。
1634年、興福寺の2代目住職・黙子如定(もくすにょじょう)禅師によって架設された。
彼は中島川の氾濫によって橋が度々流されるのを憂い、中国から石工を呼び寄せ、強固な二連アーチの橋を築かせた。
橋の全長は22メートル、幅は3.65メートル。
2つの半円を描くアーチが川面に映る姿が眼鏡のように見えることから、その名がついた。
江戸期の水害や1982年の長崎大水害を経てもなお、現存している。
1960年には国の重要文化財に指定された、日本三名橋の一つである。
眼鏡橋(長崎)の心霊現象
眼鏡橋(長崎)の心霊現象は、
- 少年の霊が橋の上に現れる
- 写真を撮ると、青白いオーブや不気味な顔が写り込む
- 原爆で亡くなった人々の霊が夜な夜な橋の上や水面に現れる
- 橋の周辺で白装束の女性の姿が目撃される
である。以下、これらの怪異について記述する。
太平洋戦争末期、長崎に投下された原子爆弾。
その直後、多くの市民が焼けただれた身体を冷やすため、中島川へと殺到した。
だが、水は癒しではなく、多くの命を奪う終焉の地となった。眼鏡橋はその惨劇の舞台の一つでもある。
橋の近くで写真を撮ると、青白い光の玉=“オーブ”が写り込むという報告が絶えない。
中には、はっきりと原爆の犠牲者と思しき、髪が逆立ち、衣服がボロボロになった霊が写ることもあるという。
ある夜、橋の上にたたずむ少年の姿が目撃された。
声をかけるとふっと消え、橋の下からすすり泣く声だけが残ったという。
少年の霊は、この地で命を落とした子どもの魂なのか。
さらには、橋のたもとで白い衣をまとった女性の姿が目撃されている。
彼女は無表情で川面をじっと見つめていたという。
その場に居合わせた者は、理由もなく寒気を覚え、その場から動けなくなったとの証言もある。
眼鏡橋(長崎)の心霊体験談
これは、筆者の友人・A君が実際に体験した恐怖の一幕である。
H君は出張で長崎を訪れていた。
観光も兼ねて市内を散策していた彼は、昼の眼鏡橋で写真を撮影。
その美しい景観に心を和ませていた。
だが、家族から「夜の眼鏡橋も見てみたい」と頼まれ、夕食後に再び橋を訪れたのが悲劇の始まりであった。
夜の橋は昼とはまったく異なる顔を見せていた。
人気は少なく、橋の上を流れる風は妙に生暖かかった。
A君はスマホで写真を撮っていると、耳元で「ブゥン……」という蚊のような音がした。
振り向くと、そこには青白く発光する球体が宙を漂っていた。
不気味に思いながらも川面に目を向けたH君は、凍りついた。
水面に浮かぶのは、白い能面のような顔。その表情は怒りにも悲しみにも見えたという。
慌ててその場を離れたH君はホテルに戻ると、家族から「写真に何か写ってる」とメッセージが届いていた。
スマホの画面を確認すると、そこにはボロボロの白い衣を纏った、
少女のような上半身が写っていた。
目は虚ろで、口は開いたままだった。
それが誰だったのか、何を伝えたかったのかはわからない。
ただ、その存在が確かに彼の写真の中にいたのである。
眼鏡橋(長崎)の心霊考察
眼鏡橋は、ただの観光名所ではない。
そこには、歴史に刻まれた「死の記憶」が刻み込まれている。
とくに原爆によって失われた多くの命は、この橋を「終点の地」として選んだのかもしれない。
戦争という名の大量殺戮により、痛みと苦しみの中で命を落とした者たち。
その念は、消えることなくこの地に留まり続けているのではないか。
また、写真に映る霊的存在や不自然な光は、科学では説明できない現象である。
A君の体験談が示すように、それらは“単なる偶然”で片づけられるものではない。
眼鏡橋に立つとき、人は無意識のうちに過去と繋がってしまうのかもしれない。
そこに立ち、カメラを構えるだけで、「あちら側」と「こちら側」の境界がぼやけていく。
その刹那、あなたの背後にも“誰か”が立っているかもしれない——。
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