かつて島根県に存在した交通の難所「旧日貫トンネル」には、今も静かに囁かれる心霊のウワサがある。深夜、誰もいないはずの石段に佇む女性の霊、消えゆく気配、背後に忍び寄る足音――忘れ去られた隧道には、人ならざるものが潜んでいるという。今回は、旧日貫トンネルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
旧日貫トンネルとは?

旧日貫トンネルとは、島根県邑智郡邑南町と浜田市旭町を結ぶ、かつての主要地方道浜田作木線に位置する隧道である。
1955年に開通し、約50年間、地域の交通を支えてきた。
しかし2006年、新日貫トンネルの完成とともにその役目を終え、旧道として封鎖された。
全長217メートル、幅員4.5メートル、高さ制限3.6メートル。
トンネル内部は素掘りで、岩肌が剥き出しとなっており、その荒々しい構造が今もなお人々に異様な印象を与えている。
現在は簡易バリケードにより通行止めとなり、静寂と共に風化を続けるこの場所に、ある時期から“人ならざるもの”の気配が語られるようになったのである。
旧日貫トンネルの心霊現象
旧日貫トンネルの心霊現象は、
- トンネル入り口上部に現れる女性の霊
- 夜間、通行人を見下ろす謎の視線
- 石段の中腹にたたずむ影の存在
- 突如として消える人物の目撃情報
である。以下、これらの怪異について記述する。
心霊現象の中でも特に有名なのが、「女性の霊の目撃」である。
深夜、浜田市側からトンネルを訪れた者が、入り口近くの石段の途中で女性がこちらをじっと見下ろしていたという報告がある。
その姿は、古めかしい和装のような装いで、髪は長く顔ははっきり見えなかったとされている。
目撃者は最初、単なる人だと思い「こんな夜中に何をしているのか」と疑問に感じながら見上げていた。
しかし、数秒後、目をそらして再び視線を戻したときには、その姿は忽然と消えていた。
周囲には気配すらなく、物音一つ聞こえぬ静寂。そこに人がいた気配など、最初からなかったかのようであった。
さらに、トンネル付近にはかつて「日貫とんねる開通記念碑」が設置されていた場所があり、今も苔むした石碑が残されている。
この石碑の存在と女性の霊との関連を疑う声も少なくない。
碑文には、かつてこの地が交通の難所であり、多くの人々の悲願と血のにじむ努力によって開通に至った歴史が記されている。
だが、それは同時に多くの犠牲や未練を残した地でもあるかもしれないのだ。
旧日貫トンネルの心霊体験談
ある人物が夜半過ぎ、肝試し目的で旧日貫トンネルを訪れた。
浜田市側から徒歩で接近し、朽ちたバリケードを超えて進むと、空気が明らかに変わったという。
冷気が肌にまとわりつき、木々のざわめきがまるで耳元で誰かが囁いているかのように感じられた。
石段を見上げたとき、そこに“誰か”がいた。視線をこちらに向けていたその人影は、瞬きをしたかと思う間に霧のように消えた。
恐怖に駆られ走って戻る途中、「ザッ…ザッ…」という足音が背後からついてきたというが、振り返っても誰もいなかったという。
その後、彼は発熱し、一週間ほど原因不明の体調不良に悩まされた。
本人は「見てはならないものを見た」とだけ語っている。
旧日貫トンネルの心霊考察
旧日貫トンネルにおける心霊現象は、単なる噂では片付けられない不気味なリアリティを帯びている。
トンネルの歴史を振り返れば、それは地域の発展の象徴であると同時に、過酷な労働、事故、そして土地に残された未練といった“負の記憶”の集積でもある。
特に霊が現れるとされる石段は、旧旧道への導線であり、今ではほとんど人が踏み入れることのない廃路である。
そのような場所に、なぜ“女性の霊”が立ち続けているのか。
その存在が意味するものは、未練か、警告か、あるいはかつての犠牲者の残留思念か。
また、記念碑に刻まれた言葉が象徴するように、この地には「切り開いた者たちの魂」が確かに存在していた。
その魂の一部が、今なおこの地にとどまり、静かに通行人を見つめているのかもしれない。
旧日貫トンネル――そこは、忘れられた歴史と、語られることのなかった想念が交錯する、静かなる恐怖の地である。
コメント