伊予の豪族・河野通清が自刃したと伝わる山の神古戦場跡には、今なお落武者の霊がさまようと語られている。今回は、山の神古戦場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
山の神古戦場跡とは?

山の神古戦場跡は、愛媛県松山市小川の粟井坂トンネル付近に位置する古戦場跡である。
平家打倒を掲げた源頼朝の呼びかけに応じ、挙兵した伊予の豪族・河野通清がこの地で敗死し、割腹自刃したと伝わる。
この地には通清の供養塔が建てられ、かつてその最期を遂げたとされる「大松」の切り株が残されていた。
現在は閑林園として整備されているが、その背後には血塗られた歴史が眠っているのである。
山の神古戦場跡の心霊現象
山の神古戦場跡の心霊現象は、
- 夜中に、鎧兜をまとった武者の姿が木立の間に立っているのが目撃される
- 供養塔付近で、誰もいないのに複数の足音が取り囲むように響く
- 大松の切り株跡では、呻き声や叫び声のような音が風に混じって聞こえる
- 古戦場を歩いていると、肩を叩かれる・衣服を引っ張られるといった不可解な感触がある
である。以下、これらの怪異について記述する
鎧兜をまとった武者の影は、夕暮れから夜半にかけて現れるとされる。
近づくと消えるが、後ろを振り返ると背後に立っていたという証言もある。
これは自刃した河野通清、あるいは散っていった家臣たちの霊であろう。
供養塔では、深夜になると砂利を踏みしめる複数の足音が響く。
しかもそれは自分を取り囲むように近づき、逃げようとすると急に途絶えるという。
不意に冷気が首筋を撫でる体験も多く報告されている。
大松の切り株跡は特に凄惨である。
通清が刀を腹に突き立てた瞬間の呻き声が今も木々に染みついているかのように、耳鳴りのような低いうなりが聞こえる。
風が止まった瞬間にだけ「助けよ」という声を聞いた者もいる。
さらに古戦場の小道を歩くと、背後から衣服を引っ張られる体験が報告されている。
振り返っても誰もおらず、ただ枯葉が舞うばかりである。
この現象は、無念のうちに倒れた兵たちがなおも同行者を求めているのかもしれない。
山の神古戦場跡の心霊体験談
訪問者の一人は、供養塔で手を合わせているとき、背中に強い視線を感じたという。
振り返っても誰もいないが、草むらがざわつき、甲冑のきしむ音が耳に届いた。
慌てて下山したが、足元には確かに誰かの影が寄り添うように付いてきたと語っている。
また、切り株跡を訪れた人は、カメラを向けた瞬間に操作不能になり、再起動すると写真には鎧姿の半透明の人影が映り込んでいた。
現地で強い耳鳴りと吐き気を覚え、その後しばらく悪夢にうなされたという体験もある。
山の神古戦場跡の心霊考察
山の神古戦場跡の霊現象は、河野通清の壮絶な最期とその家臣たちの無念が凝り固まったものと考えられる。
自刃という血塗られた終焉を遂げた大松は、彼の怨念を宿す象徴的な場所であり、今もなおその気配を周囲に放っているのであろう。
また、供養塔や関所跡といった「人が往来し祈りを捧げる場所」で現象が多発するのは、死者が慰霊を求めて姿を現すためと解釈できる。
落武者の霊は、単なる伝承ではなく、この地を訪れた者の証言と体験談によって裏づけられているのである。
山の神古戦場跡は、歴史的史跡であると同時に、今もなお生者と死者の境界が揺らぎ続ける心霊の地であるといえよう。
コメント