中河原海岸は、三重県津市の伊勢湾に面する海岸で太平洋戦争時、空襲により命を落とした犠牲者が多くいた場所で、その後水難事故により心霊スポットと云われている。今回は、中河原海岸のウワサの心霊話を紹介する。
中河原海岸とは?
中河原海岸は、三重県津市にある海岸で戦時中に亡くなった者の遺体を埋葬したというウワサがある。
記事によれば、昭和30年(1955年)7月28日、天気がよく波も穏やかな日で海水浴に絶好の日だった。
橋北(きょうほく)中学校では河原海岸で水泳講習を行っていたが、突然の高波により中学生36人の命が失われた。
水難事故からちょうど10年前の昭和20年(1945年)7月28日に津市への空襲が米軍からあったこともあり、事故後まもなく地元では戦争被害者の霊の仕業ではないかと推測する者が出ていたそうだ。
水難事故は、岸からわずか10mの場所で発生したもので、事故原因は未だはっきりしていないが「離岸流」という自然現象が事故原因と一部では考えられている。
離岸流は、岸から沖へ向かって流れる海水のことであるが、その流速は毎秒2mに達するらしい。
中河原海岸は浅瀬ではあるが、深みがある箇所が幾つかあり、浅瀬から深みに向かい水が一気に流れた可能性があるという。
#後藤宏行
— *あすみ*読書垢 (@rico_book0409) May 27, 2020
「#死の海 — “中河原海岸水難事故“の真相と漂泊のの亡霊たち」#読了
昭和30年7月28日。
中学校の水泳の授業中、突如として溺れ出す生徒が続出し、36名が溺死した
生き残りの生徒が
「防空頭巾を被った女たちに足を引っ張られた」と証言した。
日本最恐の“幽霊事件“の真実が明らかになる。 pic.twitter.com/Q2kjDhttav
中河原海岸の心霊現象
中河原海岸の心霊現象は、
- 防空頭巾を被った霊に足を引っ張られる
である。この場所では、橋北中学校の中学生が36人溺死した事故があるのだが、その原因は防空頭巾を被った霊に足を引っ張られたことにより発生したと云われている。
必死に逃げた女子達の全員が「防空頭巾の女に襲われた」と証言しており、「女性自身」昭和38年(1963年)7月22日号に掲載されている。
なんでも何十人という黒いかたまりの女がこちらに向かって泳いできて、頭にはびっしょりと濡れた防空頭巾とモンペをはいていたそうだ。
夢中で逃げようとする女子達の足を捕まえていくのは一瞬の出来事だったという。
この話が元になり、中河原海岸の水難事故といえば『防空頭巾の女性の霊がひき起こした』という怪奇現象が広まった。
中河原海岸では戦時中に亡くなった者のうち、火葬しきれず身元も分からない御遺体を砂浜に埋めたという話もある。
実は事件はこれだけではなく、昭和7年(1932)年8月2日に明徳小学校の児童が海水浴に来ていたのだが、海に入ると6名の児童が水死したものもあるようだ。
防空頭巾の女性の霊だけではない何らかの存在がこの海岸にあるのかもしれない。
原因不明の事故が多いため中河原海岸は現在でも遊泳禁止となっており、事故現場付近では水難事故の犠牲者を供養するマリア像が建立されている。
慰霊碑であるマリア像では「血の涙を流す」とウワサされており、霊の目撃が多数あるというのだが…。
又、中河原海岸では心霊写真が撮れるという情報や、カップルで歩いていたところ人の気配を感じて振り返ると、女性がにっこりと笑い走って追いかけてきたという情報も。
<0563 ナ…> 中河原水難事故
— 幽宇/怖いしりとりの迷宮 (@comein_no52) July 28, 2021
1955年の今日7月28日に中河原水難事故が発生。三重県津市橋北中学校の女子生徒36人が中河原海岸で水泳の授業中に溺死。10年前の太平洋戦争中の同日に空襲で焼死した防空頭巾にモンペ姿の女性達の霊によって海中に引きずり込まれたと言われた。 pic.twitter.com/njsBSLMzdx
中河原海岸の場所・アクセス・地図
中河原海岸の住所 | 〒514-0011 三重県津市高洲町33−6 |
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交通アクセス | 津市から国道23号 経由で9分 |
最寄りのバス停 | 島崎町(徒歩23分)県道114号 経由 |
最寄り駅 | 津駅(徒歩33分)県道114号 経由 |
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