格式ある老舗旅館として知られた万松楼。だがその裏には、数々の不気味な噂や心霊体験が語り継がれているという。今回は、万松楼にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
万松楼とは?

万松楼(ばんしょうろう)は、長崎県佐世保市にあった老舗旅館である。
創業は1893年(明治26年)。1896年(明治29年)には初代内閣総理大臣・伊藤博文が本館を訪れ、眼下に広がる松林の景勝に感銘を受けて「万松楼」と命名したと伝えられている。
以後、東郷平八郎、山本五十六、西郷従道など歴代の政治家や軍人、文化人たちに愛され、格式ある割烹旅館・料亭としてその名を広めていった。
戦後は観光ホテルへと姿を変え、温泉施設「弁天の湯」なども併設するが、2000年代以降は経営難が続き、2014年には営業停止。
最終的に2018年には競売にかけられ、閉鎖となった。
ただし、この華やかな表舞台とは裏腹に、万松楼には人々が口を噤む“いわく”がついて回っていたという。
万松楼の心霊現象
万松楼で語られている心霊現象は、
- 女性の霊が現れる
- 誰もいないのに声が聞こえる
- 3階の奥の部屋にお札が貼られている
- 上の階が存在しないのに足音が響く
である。以下、これらの怪異について記述する。
万松楼の裏手には西方寺の墓地があり、建設当初にはその一部を取り壊して旅館を建てたという話が残されている。
その因縁か、営業中から「霊が出る宿」として知られていた。
特に問題視されていたのが3階の一番奥の部屋である。
ここには、お札が多数貼られていたとされ、何かを“封じる”意図が感じられたという。
ある晩、女子学生がこの部屋に宿泊していた際、「女性の経を読む声」や「太鼓を叩く音」が夜通し聞こえたという。
恐怖に駆られた彼女たちは、教師に訴えるも取り合ってもらえず、最終的には他の部屋へ逃げ込んだという。
また、別の部屋に泊まっていた者は、上階が存在しないにも関わらず、天井から“走り去る足音”を深夜に聞いたという。
その音は左から右へ、誰かが確かにそこにいるかのようにはっきりと響いたという。
さらに2023年11月、218号室にて白骨化した遺体が発見されている。
死後、数年が経過していたとされ、死因や経緯は不明。
だが、それが万松楼の“負の歴史”を裏づける最後の証拠となったのではないかとも囁かれている。
万松楼の心霊体験談
実際に万松楼に宿泊した人物のブログには、次のような証言が記されている。
「8月、5泊6日の学習合宿で万松楼に宿泊した。場所は由緒正しい老舗旅館のはずだったが、3階奥の部屋では“お札が貼ってある”という噂が飛び交い、ある女子生徒は夜中に“女の人の読経の声”と“太鼓の音”を聞いた。恐ろしくて眠れず、他の部屋に避難してきた。教師はまともに取り合ってくれなかった。」
「私の部屋は4階(※物理的に存在しないはずの階)で、深夜0時20分ごろ、“誰かが走る音”が頭上から聞こえた。だが、上には部屋は存在しない。あれは一体、誰の足音だったのだろうか──。」
このように、万松楼では複数人が“この世のものではない何か”の存在を体感しているのである。
万松楼の心霊考察
万松楼にまつわる心霊現象には、いくつかの因果が複雑に絡み合っているように思える。
まず裏手の墓地、そして建築時に一部の墓を取り壊したという過去。
それが“祟り”や“憑きもの”の原因となっている可能性は高い。
また、戦時中に朝鮮半島から連れてこられた人々が強制労働させられ、その犠牲者の遺骨が眠っているという説もある。
さらに、不審な死を遂げた人間の“念”が建物に染みついていたとしたら、その場を離れたとしても霊的な現象は続くであろう。
そして最後に、誰もが共通して語る“3階の奥の部屋”。
封じられた何か、呼び出してしまった誰かが、そこに存在し続けているのかもしれない。
霊感が強い者、または無意識のうちに“共鳴”してしまう者にとって、万松楼は極めて危険な場所であったといえるだろう。
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